日本陸海軍機大百科、『九六式艦戦四号』(2)[A5M4] 2010
11/1
月曜日

 シリーズ第二八弾は、海軍の『九六式艦上戦闘機』だ。以前、同じく九六式艦戦を紹介している。原型機の「九式単座戦闘機」が三菱の設計陣の予測すら超える優秀な性能を示しながら、発動機の実用性が伴わなかったため、九六式艦上戦闘機の生産型は、かなり”目減り”した性能でスタートせざるを得なかった。三菱の技術陣が量産と併用して面目を保つべく必至の改良に取り組んだ結果、制式採用から2年近く経った昭和13(1938)年末頃に、ようやく計画性能を満たした四号型[A6M5]が就役を始めた。その改良を重ねつつ完成の域に達した革新の名機に至るまでの経緯が紹介されている。

■原型機の性能に及ばず
 九六式艦戦一号型と、二号型は、機体設計の優秀さとは裏腹に、それに見合った発動機に恵まれず、それにもかかわらず、日中戦争当初から実戦に投入され、中華民国空軍機を圧倒し、一方的な勝利を納められたのは、搭乗員の技量もさることながら、その性能が格段に優れたと言える。三菱設計陣は原型機が示した性能を実現できるよう、機体の改良に日夜励んだ。そして、生産第75号機からは、カウリングを含めた胴体設計を一新した二号二型[A5M2b]と呼ばれる型式に切り換えたのだが・・・・・


■モデルチェンジした二号二型
 各種改造を施した二号二型ではあったが、全金属単葉形態に相応しい密閉型風防に改造したのであるが、これが海軍戦闘機隊の搭乗員には、視界を遮るとして密閉式風防を受け入れられなかった。改造の目玉とはならなかったのである。空中戦の際、横、および斜後方への著しい視界制限を生じさせてしまったからである。

 海軍は技術後退ともいわざるを得ない風防の開放型を改めて三菱に設計変更を命じたのだった。風防は直ぐには統一された形態には定まらず、数種類もの形状が作られたが、部隊で運用しながら改善され、最終的には4枚の平面ガラスで構成される型式に落ち着いた。

 次回は『一〇〇式十爆撃機「呑龍』をお楽しみに。

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