日本陸海軍機大百科、『九九式艦上爆撃機一一型』 2010
9/28
火曜日

 シリーズ第二七弾は、海軍の『九九式艦上爆撃機一一型』<愛知時計電機製>だ。航空機が水平直進飛行しながら、地上の各種目標や海上航行中の艦船などに対して行う爆撃法を水平爆撃という。水平爆撃の場合、ある程度正確な照準をしても風の影響を受けたり艦船のように目標が動いていると命中率は著しく低下する。その命中率を少しでも向上させる手段として、1920年代末にアメリカ海軍/海兵隊が考えたのが急降下爆撃法であった。航空ショーなどでも盛んに実演したため列強各国航空関係者の間に直ぐに情報が広まり、競い合うように専用機の開発を行った。その急降下爆撃機の日本海軍板が艦上爆撃機であり、九九式艦爆は3台目の機体になる。

 日本海軍は、昭和11(1936)年秋、愛知、三菱、中島の民間3社に対し「一一試艦上爆撃機」の名称で次期新型艦爆の競争試作を指示した。求めた性能スペックは、二五番(250kg)爆弾懸架状態にて、最高速度370km/h以上、航続力は800浬(1,480km)以上、着艦時の速度は60kt(111km/h)以下、急降下時の制限速度240kt(444km/h)以下で、投弾後は戦闘機に近い空中戦性能を持つことなど、かなり厳しいものだった。これらの3社による競争試作で、三菱は社内事情により途中棄権し、中島は速度や上昇性能が愛知のAM-17 2号機に劣ったため不採用を通知された。愛知のAM-17は三菱製「金星」三型空冷星形複列14気筒発動機(840hp)を搭載、手堅く固定脚を採用、主翼下面に急降下抵抗板(エアブレーキ)を装着させた。しかしながら、制式採用までに速度や航続力などの諸性能はクリアしたものの、ふたつの大きな”悪癖”を抱えてしまった。
 急旋回や宙返りなど著しい機種上げ姿勢時に発生する「不意自転」(錐揉み状態)と補助翼の「とられ」(操作すると必要以上に蛇角が増してまう現象)だった。原因は、設計の参考としたHe70が水平直進飛行しかしない機種であり、AM-17のような特殊飛行(急降下、空中戦時の宙返りなど)を全く前提にしていなかったために起きた現象だった。このような欠点を克服し、昭和14(1939)年12月、「九九式艦上爆撃機[D3A1]の名称により制式兵器採用され、愛知時計電機の執念はようやく実った。

 次回は『九六式艦上戦闘機四号』をお楽しみに。(2010/09/29 1:01)

※サイト:日本陸海軍機大百科


Copyright (C) 2010 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.