日本陸海軍機大百科、九七式重爆撃機二型 2010
8/30
月曜日

 シリーズ第二四弾は、陸軍の九七式重爆撃機二型[キ21]』だ。日本陸軍重爆撃機の近代化を成し遂げた三菱の渾身の一作となっている。大正10(1921)年にフランスから購入したファルマンF-50によって、大型双発爆撃機がいかなるものかを知った日本陸軍航空は、昭和8(1933)年に制式採用される三菱九三式重爆撃機まで、その設計と製造技術を全面的に欧米航空先進国に依存していた。しかし昭和10(1935)年前後より、可能名限り独自の設計工夫を採り入れた機体を開発しようという自立心が芽生えた。この風潮にのって、重爆撃機の”準国産化”と近代化を具現した最初の機体と言えるのが本機である。

パソコンのモニターの前で撮影

 陸軍は昭和11(1936)年2月、中島、三菱両社に対しそれぞれキ19、キ21の試作番号を与えて競争試作を命じた。競争試作に当たり、陸軍航空本部の重爆に対する運用指針が変化した。従来の地上軍支援一辺倒ではなく、飛行部隊単独による作戦行動、すなわち「航空撃滅戦」を想定した運用を考慮に入れたものだった。要求仕様は、速度400km/h以上、爆弾携行量は750kg、巡航速度300km/hにて5時間、最大(爆弾などを携行しない状態)で7時間であった。

■しこりを残した採否決定
 中島と三菱の一騎打ちとなった試作機機は両社ともにほぼ要求値を満たした成功作だったため、審査は甲乙つけ難く採否決定は難航した。中島キ19は、双発大型機設計の経験不足を補うため、アメリカ・ダグラス社との技術提携を生かしていた。同社のDC-2、DC-3新型旅客機などに用いられた設計技術を採り入れた。一方、三菱キ21は、過去の九三式重爆、九二式超重爆の生産も行っており、大型軍用機は三菱というブランドイメージがあった。開発は技術提携していたドイツ・ユンカース社の設計技法を全面的に採り入れた。三菱キ21より中島キ19が明らかに凌ぐ外形洗練度を持った双発機に仕上がった。結局最終的には上層部の政治判断という手段に委ねられ、機体は三菱(キ21)、発動機は中島(ハ五)を採用するという折衷案が通った。三菱、中島ともに鬱屈した感情を残す後味の悪い裁定となった。

 昭和12(1937)年12月、キ21は「九七式重爆撃機」の名称で制式兵器採用された。昭和14(1939)年には、海軍主導で開発された発動機、陸軍仕様[ハ一〇一](のちの火星)に換装された性能向上型(キ21-Ⅱと呼ばれた)の試作に着手し、昭和15(1940)年12月に原型機を完成させた。変更点はカウリングの大きさと形状を変えたことにより空気力学的に洗練された。他には収納時でも半分露出していた主車輪が完全にナセル内に納まって、空気抵抗上のロスを解消した。防御武装も強化され、7.7mm×7挺になった。発動機のパワーアップに加え、プロペラの定速可変ピッチ式に変更したことで、最高速度は478km/h、高度6,000メートルまで13分13秒、航続力は2,700kmと向上した。

 次回は『零戦三二型』をお楽しみに。(2010/08/30 23:07)

※サイト:日本陸海軍機大百科


三菱 九七式重爆撃機二型[キ21-Ⅱ]

Copyright (C) 2010 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.