日本陸海軍機大百科、『二式戦闘機 鍾馗二型』[キ44-Ⅱ] 2010
7/5
月曜日

 シリーズ第二〇弾は、『二式戦闘機 「鍾馗(しょうき)」二型』キ44-Ⅱ。日本陸軍最初の重戦闘機として、大きな期待がかけられて太平洋戦争に臨んだ二式(単座)戦闘機だったが、その特性から緒戦期の侵攻作戦には不向きで、華々しい戦績とは無縁だった。戦争末期に本土防空戦が生起して、ようやくその本領を発揮できる場面が巡ってきたかに見えたが、対戦相手のB-29は想像以上に高性能であったため、二式戦は性能的に見劣りした。それでも操縦者の奮起により少なからぬ撃墜戦果を挙げ、重戦としての存在感を示した。

 二式戦は一型(キ44-Ⅰ)の発動機「ハ四一」を「ハ一〇九」(1,500hp)に換装して、全般性能を向上させた二型(キ44-Ⅱ)である。最高速度はようやく当初の要求値605km/hをクリアし、上昇力も高度5,000メートルまで1分39秒も短縮する4分15秒にまで向上していた。ただし、落下タンクを装備しても行動半径が400km程度しかない二式戦は、敵地への侵攻作戦に使うには不向きで、一式戦部隊のようには運用できないのが現実だった。

■不得意な格闘戦
 二式戦はその期待特性から格闘戦は不得手であり、多くの戦果は高度の優位を利した降下一撃離脱戦術によるものと思われる。ベテランパイロットによる防空戦ではB-29を初め10機近くを撃墜した若松大尉もいた。

※重単座戦は機銃砲(12.7mm)1門と機銃2挺を装備し、速度に卓越すべきもの<昭和13(1938)年の「陸軍航空本部兵器研究方針」>

パソコンのモニターの前で撮影

中島製『二式戦闘機「鍾馗」二型』[キ44-Ⅱ]

■総括
 本機への評価は決して高くなく、二式戦の設計や性能の問題というよりも、陸軍側が重戦という性格に見合った確固たる運用方針を持っていなかった点に問題があったのだろう。凡庸な一式戦が5,751機も生産されたのに比べ、二式戦はその21%に過ぎない1,225機という少数生産にとどまった。

 次回は『九六式陸上攻撃機 二型』をお楽しみに。(2010/07/05 22:59)

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