日本陸海軍機大百科、『雷電三一/三二型』[J2M4] 2010
4/9
金曜日

 シリーズ第一四弾は、局地戦闘機『雷電』だ。日本本土来襲が必至と目されていた、アメリカ陸軍の新鋭四発重爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスを迎撃できる日本海軍唯一の防空(局地)戦闘機として、雷電に寄せる期待は大きかった。このため、製造メーカーの三菱も改良型の開発には可能な限りの努力を傾注した。その”目玉”として昭和19(1944)年半ば以降に具体化したのが、高々度性能向上を主眼とした排気タービン過給器の導入であった。しかし、関係者の熱意も空しくそれらが実践戦力として役に立つ非は巡ってこなかった。それは、日本の工業術力の限界でもあった。

■急務とされた性能向上
 大きな期待のかかった雷電は、開発に長期を要したために生産型の配備が始まった昭和18(1943)年末頃には、当初計画した性能もいささか色あせた感は否めなかった。B-29の性能が予想以上に高いことが判明した。このため、このような外的要因もあり、雷電の性能向上はにわかに急務となった。

■排気タービン過給器の導入
 排気タービン過給器の研究・実験を進めていたが、高温の排気ガスに直接晒されるタービン部の耐熱金属などが上手く出来ず、実用化にはほど遠い状況だった。だが、事態は急を要したため、海軍は”見切り発車”の状態で排気タービン過給器装備の雷電の開発を三菱と、身内の航空技術廠に命じた。航空技術廠の排気タービン過給器の信頼性が低いうえに、空技廠機は異常振動も発生してとても実用に耐えないことが判明した。一方、三菱機も高度9,200mにおける最高速度が、予想を大きく下回る580km/hにとどまった。これらから排気タービン過給器装備のメリットがほとんどないことがわかり、結局は双方共に不採用を通告された。

パソコンのモニターの前で撮影

『雷電』三一/三二型

■発動機を換装した「雷電」三三型
 高々度性能向上型をめざして開発をすすめたのが、J2M3の発動機を「火星」二六甲型(1,820hp)に換装したJ2M5(のちの「雷電」三三型)だった。火星二六甲型はJ2M3などに搭載した火星二三甲型の過給器を大型化し、高度7,200mにて1,310hpを維持出来るようにした発動機だった。昭和19(1944)年5月に完成し、テストでは高度6,585mにて最高速度614.8km/hの好成績を示したため、海軍は直ちに三菱に対して量産準備を下命した。ところが、当のB-29の空襲などにより、三菱での生産体制が整うのが遅れてしまい、結果的には敗戦までにわずが42機が完成したので、実践戦力に至らぬまま終わってしまった。

■風防を改良した「雷電」三一型
 視界改善のため風防の高さを50mm、幅を80mm増し、その風防前方両側の胴体を少し削った改良型のJ2M6(昭和19(1944)年10月に「雷電」三一型の名称で制式採用し、同年6月以降に一定数生産された。J2M6a雷電三一甲型、J2M7a雷電二三甲型は戦争末期の混乱などにより計画のみで、生産にまで至らなかった。

 次回は『九六式艦戦四号』をお楽しみに。(2010/04/09 21:48)

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