日本陸海軍機大百科、『彗星一一型/一二型』 2010
3/12
金曜日

 シリーズ第十弾は、熱田の『彗星艦上爆撃機』。海軍航空技術廠の英知を集結し、新機軸の塊のような機体として華々しく登場したが、太平洋戦争という未曾有の事態に翻弄されることになる。

 彗星の登場の前身となるのは、昭和11(1936)年、現用九六式艦上爆撃機の後継機を得るために、愛知、中島、三菱の3社に競争試作「一三試艦上爆撃機」計画を提示した。発動機はドイツのハインケル社の最新鋭急降下爆撃機He118のライセンス生産を考えたが、如何せん、日本海軍の航空母艦で運用するには大きすぎた。そこで、He118の穴埋めをする意味もあって、海軍は航空技術廠自らが同機を範とした独自設計の試作をすることとなった。昭和13(1937)年「一三試艦上爆撃機」[D4Y1]の名称で開発がスタートした。

 設計チームが自らに課した性能スペックは、最大速度519km/h、巡航速度426km/h、二五番(250kg)爆弾懸吊の正規状態における航続距離800浬(1,481km)以上、最大で1,200浬(2,222km)以上だった。選択した発動機はドイツのタイムラーベンツDB600G倒立V型12気筒(950hp)だった。このスリムな発動機に合わせ、機体は徹底的に空気力学的洗練を施した外観と、コンパクト化の追求だった。アスペクト(縦横)比の小さい主翼を組み合わせることで破格の高性能を狙った。

 本体の内部構造上、注目すべき点は2つ。ひとつは、急降下時の風圧に耐えるため、上面外板の内側に波状板を裏打ちして、強度を高めていた点。そしてもうひとつは、前、後主桁間に左、右各2個、中央1個、計5個の燃料タンクとし、5個のタンクの合計容量は1,070リットル、落下増槽330リットルと併せると最大3,900km近い航続力を発揮した。

パソコンのモニターの前で撮影

『彗星一一型』[D4Y1]

 艤装面における最大のポイントは、降着装置やフラップ、抵抗板の出し入れ、爆弾倉扉の開閉のエネルギー源として、当時の一般的な油圧ではなく、電動モーターを採用した。その背景には、日本軍用機の油圧システムの信頼性が低く、油漏れや圧力不均等などの欠陥に悩まされていたことがあった。

 フラップの技術面としては、揚力の大きいファウラー式を採用、その幅も3mという異例の大きさとなり、最大の効果を狙った。フラップ前方の翼下面に備えた抵抗板、急降下爆撃機には必須装置の「エアーブレーキ」も独特であった。3分割された抵抗板は、フラップが後方にスライドして下がったときは主翼本体後縁を塞ぐように上方に動く。これにより、主翼下面側の空気がその隙間からスムーズに上面側に流れて、気流の乱れを抑える役目をした。急降下の際には、3分割された板がそれぞれ少しずつ違った角度で下方に下がり、空気抵抗を大きくして過速に陥るのを防いだ。興味をそそられるでしょ、そそられない? こりゃまた失礼・・・・

 次回は『零戦二一型』をお楽しみに。(2010/03/12 20:10)

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