日本陸海軍機大百科、『九七式艦攻』一二型 2009
11/23
月曜日

 シリーズ第四弾は、中島の艦上攻撃機、昭和10(1935)年夏、「十試艦上攻撃機」の計画名称により、主要メーカーの三菱、中島両者に対して、次期新型機の試作が命じられた。提示された要求仕様書の冒頭には、「型式:単葉」と明記されており、全金属製機が前提であることを示していた。

 三菱は、発動機は「金星」(当初は840hp)と、リスクを避け固定脚形態で望んだ。一方、中島は対照的に、自社の空冷星形14気筒「NAM」(のちの栄シリーズ)の搭載を予定していたが、その当時使用できた直径の大きい空冷単列9気筒「光」(660hp)しかなかった。そのため、空気力学的洗練を大胆に施すため、艦上機では初めての試みとなった油圧引込式の主脚を採用した。※発動機は後に「栄」に換装される。

 艦攻は、三座(3人乗り)であって、同体内にタンクを納めるスペースがない。従って主翼内タンクに頼ることになるが、設計主務者(中村勝治技師)は英断をもって採用したのが、主桁を1本にし、「押し型型材」を使うことで不足する強度を補った。燃料タンクも一般的な別途造りではなく、主翼構造の一定区画を着脱式にして、その内部をフルにタンクとして使う「セミ・インテグラル・タンク」を採用した。燃料容量は格段に大きくなった。

パソコンのモニターの前で撮影

海軍 中島 『九七式艦攻』一二型

 真珠湾攻撃(1941.12.8)に向けて猛特訓をし、真珠湾の浅瀬(10メートル)に魚雷を落とせば、海底に突き刺さってしまう。そこで、九一式改二魚雷には安定蛇と、尾框と推進器の間に、木造で「九七式框板(きょうばん)」というものを取り付けて、機体から投下された後、海面に突入するまでの間、魚雷が無用な回転(ロール)をしないように配慮されていた。これは突入時の衝撃で脱落するように軽く固定されていた。※パールハーバーの映画を観るとよく判る。当時の”淵田美津雄(真珠湾攻撃の航空隊総指揮官”や”村田重治(雷撃隊総指揮官)”の読み物も面白いよ。次回は陸軍機、川崎製『三式戦闘機『飛燕』一型甲をお送りしましょう。じゃ。(2009/11/23 21:00)
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