「電子書籍」VS「紙の本」 2012
6/18
月曜日

皆さんは、電子書籍をお使いでしょうか?
電子書籍は、紙の本に代わり得るのだろうか?


僕は電子書籍を使っていないし、便利なようで便利さを感じない、”何か、それは違うだろう”、”それでいいのか”、と漠然と暗澹たる想いがしていた。

今日の読売新聞、解説欄に”脳を育てる「紙の本」の見出しで酒井邦喜東大教授がコメントしていたが、まさに僕が言いたかったのはこのような含みがあったのだ。

論点を要約しよう。

◆活字は脳を創る!
酒井教授曰く、
「活字を読むときには、音声を聞いたり映像を見たりするときと比べて、書いた人が何を言おうとしているかを想像力で補っています。それによって脳が創られます。さらに、理解するだけではなく思想を形成し、自分の考えをまとめていくことが、『脳を創る』ということなのです」

◆電子書籍でも同じではないのか?
酒井教授曰く、
「手がかりが豊富な紙の本は、自分の考えを脳でまとめていくのを助けます。また、紙の本なら、ハードカバーの学術書と実用書は見ただけで違うことがわかるように、電子書籍やネットではどんな格調高い文章でもそうでないものも、同じように画面に出てしまいます。そうなると、情報の価値や我々の受容の仕方にミスマッチが生じます。インクや装丁で五感に訴えてくる紙の本での読書の楽しみを味わうことも出来ません」

◆それだけなのだろうか?
「画面上の文字はスクロールすることで位置が変わりますが、印字された文章の位置は紙に対して変わりません。本の厚みが与えるページの量的な感覚も電子書籍では希薄です。我々の脳は、実はそうした位置や厚さなどの情報を無意識に取り込んで記憶しています。手がかりが希薄になると、忘れやすくなったり、ミスを見つけにくくなったりするでしょう。誤字脱字も、パソコンで推敲している時には気付かなくても、プリントアウトすると気付くものです。紙に印刷されたもには手がかりを探す時間的余裕も豊富にあるのです」

また、子供の記憶に関しても、教科書に書き込んだり、ノートに書き写したりする作業を通じて、考え、覚えていくのだと。「便利な機械が出来たからといって、ぱっと見ただけで覚えられるわけではありません。情報を得ることと『わかる』ことは全く違います。『知っている』ということと、説明出来ることは違うのです」、そして「幼少時は、情報をある程度、制限し、理解を促し、自分のものにさせる教育が重要です」とコメントしている。

電子書籍は膨大な情報の中から検索するといった場合に有利であって、本の紙と、電子書籍を、単純にレコードからCDへ、ビデオからDVDへ新旧交代とは本質的に違うものとしていて、自動車と自転車、あるいはシェフのいる料理店とファミリーレストランのように、使い分けるべきであるとも述べている。


僕は「紙の本」が持つ、例えば単行本の紙の厚みやざらつき、フォントの種類や大きさ、レイアウト、装丁に込めた作家の思い、ページを捲るときの擦れる音、また、古い文庫本のかび臭い臭い、四囲が日に焼けた時代感も感じられる、そういったことも含めて本が好きである。

読み終わった本を本棚に並べ、眺めてみる。
すると、それぞれ本達が、てんでバラバラに、めいめいに個性豊かに自己主張してくる。

自分が感動したり、吸収した度合いに応じて、ハードに、ソフトに僕に語りかけてくるのは、如何とも不思議なものであって、それらはとても僕には心地よいのである。






(2012/06/18 21:32)


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