行徳歴史街道「塩の道と行徳千軒寺百軒」 2012
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日曜日

日曜の新聞の折り込み広告といっしょに『京葉タイムズ』が挟まれている。
自地域の歴史について書かれていて興味深い。

NHKのブラタモの番組もそうだが、江戸時代の庶民の生活、当時の風景に想いを馳せながら自分流に頭で描いてみるのは好きだ。

江戸時代から比べると近年ではあるが、昨日の読売新聞に東京オリンピック(1964)前後で東京の街並みは激変した、と写真と共に紹介されていた。代表例では日本橋の上に高速道路が覆ってしまったこともそのひとつだろう。日本橋は、街道の拠点であったにもかかわらず、当時は土地の接収の困難さと急を要する事業であったため、川の上が手っ取り早いという理由から日本橋を首都高で覆ってしまったのだ。下段は分かりにくいが、

先日、2月18日、日本橋をぶらぶらしていた際に私が撮影したもの。下側に見えているのが「大江戸日本橋」
そして日本橋と交差するように首都高が覆い被さっている。


一度、壊したり、作り直したものは二度と元の景観を取り戻すことはない。

文化的価値のある景観や建造物を永らく保存し、人の心にも継承していく気概が日本人にはもっと必要だ、と感じているのは僕だけではない。


では、前回『江戸時代の行徳塩浜はどんなところ?』の話題から随分と間があいてしまったが、ヘッドラインの話題。

現存する古文書に、行徳の地名が記されたのは『香取文書』応安5(1372)年11月9日付け「藤氏長者宣寫に、「行徳寺關(せき)務」とあるのが初めてである。行徳の地では、それ以前より「戸崎、大堺」の關とともに、川關として通行税を徴収していた。文書は香取神宮の大宮司、大中臣長房館にあてたものである。西暦1372年よりもずっと昔から「行徳關」が存在し、香取神宮によって支配され管理されていた事がわかる。

行徳の地名発症の時期はこのように、14世紀以前と考えられるが、そのこととともに重要なのは、塩の生産の始まりである。江戸時代の明和6(1769)年8月に作成された「塩浜由緒書」では、上総国五井という所から、往古より、塩を焼き覚えて、家業のようにしていた、としている。この文書は、年貢減免の嘆願書の一部として作成されたいたものである。そのために、行徳塩と伊勢神宮との関係を慎重に避けて書かれていると思える。

そもそも、鎌倉時代に伊勢神宮の神領として寄進された葛西卸厨篠崎郷が、現在の東京都江戸川区にあった。篠崎郷内に祀られていたのが神明社であり、その一つが、本行徳中州の地にあった。それはのちに、寛永(1635)年になって、行徳塩浜15ヶ村の塩垂百姓により、本行徳(一丁目)一番一号の現在地に遷座される。

葛西御厨が機能していたのは、戦国時代末期前までだが、神明社では、日毎朝夕の神事を執り行うために御塩浜が行徳塩浜であった。御手洗川は、太日川(のちの江戸川)である。

また、行徳は下総国府である国府台への物資が大船に積まれて到着する国府津だった。前面が海で、背後に大河ある行徳の地では、水田耕作は発達できなかった。そのため、日々の糧を得るための「産業」として、「貴重品」である塩の生産は、伊勢神宮や瀬戸内からの技術者の指導を受けて、古くからされていたに違いない。御塩として毎日使われた塩のほかの余剰塩は売りさばいて、食料、特に米を買い入れた。つまり、買い食いである。江戸時代から明治大正にかけて、塩を商う人を「塩や」と言った。その塩承認が塩を運ぶ道のことを「塩の道」という。

永禄(1667)年1月7日、第二次国府台合戦で、弱冠16歳の里見長九郎弘次が、北条方の武将松田尾張守に討たれた。中山法華経近辺まで逃れてきての悲劇と思える。その後、幾年が過ぎて葛飾浦(行徳浜の古称)の塩を商うものが、夕暮れの薄暗い時間にその辺りを通りかかった。中山、若宮方面の高台で商いをしていた帰り道だったのだろう。道といっても、幅一間程度であり、両脇にはススキその他の雑木が生い茂っていた。その道の傍らに藤の鳶が貫き、まとわりついた亡骸を脚で蹴りながら歩いた。薄暗い道で亡骸を蹴りながら歩くのは、余程に勇気がいる。それとも、その時代には戦死した兵たちの骸が野ざらしにされていて、そのような光景は、そちこちにごく普通に見られたのであろうか。

すると、前方に若い男性が忽然と現れ、喜色を浮かべて商人に礼を延べた。藤かつらが生い貫きまとい、苦しみ止む隙なかりしに、今これを蹴り放ち給う故に、この苦しみを免れる、と述べたという。若者は、房州安房国に商人を案内して歓待した。帰国後、商人は亡骸を小祠に祀り、安房の須明神と崇め号した。元は、安房の頭明神と言ったという。これは、市川市中山にある安房神の由来である。
※京葉タイムス(2012年3月4日)より


興味深い。



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(2012/03/04 11:18)


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