友達の定義とは何だろう? 2011
12/30
木曜日

僕のプライベート・サイトは実名で公開している。
GoogleでもYahoo!でも”岩佐省吾”で検索すると一番先頭に検索される。
(これを自慢したいわけではない)

昨今、ソーシャル・ネットワークのfacebookも実名エントリーする人がほとんどだろう。
 (このお陰で個人情報もかなり緩やかな感じになっているのではないか。生年月日、出身校、
 好きな本やアートなどは公開できる範囲を設定できるので各自工夫をしているだろう)

僕もfacebookは利用しているが、活発利用派ではない。
友達の輪に加わっているのは社内ボランティアで活動を共にしている9名ほど。

中には、数百人の友達がいる人もいて、人脈も広いのだろう、と想像はするが、ウラヤマシイとは思わない。

会社の同僚、社外の仕事関係の方、同窓生、幼友達、趣味やサークルの仲間、挙げればきりがないだろうが。
真の友達もいれば、知人レベルの方、ただの顔見知り、名刺交換だけした人もいらっしゃるだろう。
友達の位置付けが年代(20代、30代、40代、それ以上)による格差があって当然。

しかし、何百人も”友達”と言える人がいる方を僕は信用できない。

Facebookを使った人はわかるだろうが、自分が記事を投稿したり、Twitterで呟いたり、写真を掲載するなどの情報発信を試みると相手方は直ちに情報を受け取ることができる。
相手から自分宛の情報はポップアップでお知らせされる。
他にも活用していない機能はあるだろうが、コミュニケーションツールとしては大変よく出来ている。

しかし、仮にfacebookで友達となっている人が300人いるとしよう。
それぞれが日に1回、情報を発信したら、受信する自分は300通の情報を(否応なしに)受け取ることになる。
これは、情報の洪水ではないか。
それを毎日毎日、友達全員の情報を見ることが出来るのだろうか。
”いいね”ボタンを押すだけでも、30分はかかるのじゃないだろうか?
取捨選択するにしてもだ。
相手の友達の誕生日にもお知らせも来る。
それぞれにバースデイカードを出すのだろうか?
メッセージくらいは送るのだろうか。
想像するに、これらの人達は、何かしら世間との接点を持っていないと不安で仕方ないのではないか?
これだけ友達の輪で私は繋がっているのだ、と。
あくまで主観。

まぁ、余計なお世話だろう。

ところで、「岩佐さん、友達はいるの?」と聞かれたら、
  「いや、いないよ、ひとりが楽だから、友達は作らない主義」と大概答える。

寂しい人だと思われるかもしれないが、それはそれでいい。
「友達」という定義をどこで線引きするかどうかにかかわる。


過去、電話局時代や、プロジェクトで苦楽を共にした同僚やメーカー、ベンダーの営業の方、SEさん、一緒に勉強した人、サークル(ボランティア活動、森林活動)の仲間をざくっとカウントしてみよう。

小中高の同窓生:100人
電話局時代:100人
社内大学部時代:200人
複数プロジェクトの関係者:500人
「匠の会」社外関係者:100人
サークル関係:50人
デイケアの同志:10人
---------------------
概算合計:1,060人

数年、数十年ぶりに会ったとしても1分もあればフランクに話しが出来る方々だ。

決してオーバーな数じゃない。
50年近くも生きているのだし、30年も働いているのだし、過小評価でこのくらいの人数にはなる。

しかし、彼らが真の友達か、と言えばそうではないかもしれない。
”顔見知り”、”近況を伝え合う”、”当時の話しで盛り上がる”、”一緒に飲みにも行ける”というくらいじゃないか。

ここで友達というには恐れ多いが、親・兄弟は除いて、真に心配してくれる方もいる。

「匠の会」の親分のHボス、バイク仲間で会社では取締役寸前までいった(あってます?)N参謀。
今のコンディションをとってみると、彼らは「どうしてるんだ、早く良くなれよ」とは言わない。
静かに佇んでいるだけ。

Hボスは、「おっ、いわさよっ」とこんな感じ。
N参謀は、「気長にやろう、何か力になれることがあれば言って下さい」と、これだけ。

共通していえることは、心配しているフリではなく、心配してくれる、多くは語らないのである。
プレッシャーをかけられることもなく、何かあれば何でも力を貸してくれるだろう。

友達というより、後見人に近いかもしれない。

だからこそ、こちらも-自分で出来ることは自分でしよう-と思う。
-よほどの危機ではない限りは迷惑にならないようにしよう-となる。


何を言いたかったか。

友達とは、べちゃくちゃ喋りあう、どこかへ一緒に出かける、飲みに行く、といった間柄ばかりではなく、
困った時に静かに力になってくれる人”というのが僕の友達の定義となる。

但し、困った時に静かに力になってくれる人を容易く友達とは呼べない。
気軽な間柄というよりも、もっと崇高な人といえばいいか。

このようなことから、
 「友達はいるの?」
  と問われれば、
 「友達はいないよ」
  となってしまうから厄介なのである。






(2011/12/30 12:32)


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