彼女から旅行のお土産に「アオサ」と「焙じ茶」を頂いた。
ありがとう。
封を開け、何度もアオサの香りを嗅いだ。
刹那、アオサの嗅覚が、実家のあの場所、あの天気、あの風の冷たさ、板間の食卓、
座っていた場所、隣の兄、姉、母の顔、寡黙な父、楽天的な祖母、気難しい祖父、
そして陶器の汁椀の形・色まで、目の前の出来事のように
追体験として、僕を一足飛びに過去へ飛ばしてくれた。
僕は随分、幼かった。幼稚園児の頃だろう。
実家の前では天然のアオサが採れた。
厳寒の氷も張るような中、大人達はアオサを真水で洗った。
(大人は冷たさを感じないのだろうか、あれはやはり冷たいのだろう)
そして、縄に掛けては天日干しをした。
アオサが風にヒラヒラと泳いでいた。
冬場のちょっとした収入源として、親たちは必死で働いてくれたのだ。
少し炙ったアオサを揉みほぐし、醤油をかけて熱々ご飯と食べた。
鮮烈な記憶だ。
そういったことを思い出しながらアオサを味噌汁に入れ、感謝しながら食べた。
古き良き時代と笑わないでほしい。
(2011/11/17 20:17)
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