『回復期の動揺』 2011
9/13
火曜日

「混合状態」は広義的に鬱から軽躁へ極性が変化する『臨界点』でもあり、時間軸では『回復期』にあり、よい方向に差し掛かっているといえる、と昨日のブログに書いた。
今日はこの話題について述べてみたい。

ところで皆さん、7ヶ月間まったく自由な、何をしてもよい時間があれば何をしたいですか?

有り余る程の金があれば、海外旅行に出掛けたり、豪遊してみたり、欲しいものを買うでしょう。
貧乏人には金のかからない趣味や、今まで出来なかった些細なことをするでしょう。

僕も健常人であれば、金はなくともライダーハウスを利用した北海道バイクツーリングもしたいし、九州もいいなとか、また資格を取得するための勉強をしたいし、読書も軽く100冊は読めるだろう、とか。

これは『健常人』にこそ出来ることであり、『抑うつ状態の罹患人』には叶えづらいことと言える。

今の僕の状況といえば、語るもおぞましき様相を呈している。
心身共に社会生活を営むことからかけ離れ、生活のリズムは乱れ、耐ストレス性も減衰している。
 ・会社なんぞ、まったく行く気になれない。
 ・仕事に行くのが怖い。
 ・会社のことも大部分忘れ、自分のフロアが何階であったかも思い出せない。
 ・(病休の間も給料もいただけるのだから)「混合状態」、「回復期」とはいえ、
  このぬるま湯から抜け出したくない。
と、お粗末な限り。(と考えることがよくない)

もう「双極性障害」の話題はウンザリかもしれないが(お付き合いいただけるのなら)、一番症状が悪化する、言い換えれば底を突く『極期』(sin270°,cos180°の位相付近)では、脳の活動エネルギーが完全枯渇してしまい、’考えられず’、’決められず’、’憂鬱な時間’だけが途切れることなく激浪の如く一年以上にもわたり続く。
 生きているのが苦痛なのだ。
 しかし、『起死念慮』はない。
誇張しているのではなく事実だ。
二度と元には戻らないのではないか、と悲観する。

☆ここからが前振り。
自分の病気のことは主治医が一番知っているが、自分で書籍を読んで”自分の病気を深く認知する、勉強する”ことも大切だと思う。
ネット上の投稿や、まして2ちゃん等でやりとりされることは参考にはなれ、迂闊に信じないようにすることも大事かと考える。
話が偏りすぎているからだ。
だから僕は見ない。
専門機関(日本うつ病学会等)や公的ガイドライン、(バラツキはあるが)精神科医師により記されている類は信用するに値するだろう。

ここで飽き飽きした方は離脱していただいても構いません。ここまで読んで頂いただけでも恐縮です。 ≦(._.)≧

☆ここからが本題。
下段の書籍の著者、内海健氏は東大卒の精神病理学者であって、BD(bipolar disorder)の第一人者だろう。この書では国内外の文献・論文にまで踏み込み、自分の診察した臨床的事実を元に論考されている。どちらかといえば同業者(精神科医)向けのアドバイスであって、小難しい言い回しが多々あり、凡人には理解出来ない部分も山盛りだが、諦めず・・・

本書(p183~)の『回復期の動揺』を自分自身の【備忘録】として要点をピックアップする。
 ●赤字が僕が該当すると思われる箇所
 ●青字が注意すべきこと

主語は『回復期は』として
揺れやすい。(終末期動揺(final Schwankungen)と呼ばれる)
-軽症化に伴い、極期(底)と回復期がそれほど明確に区別されないこともある。
-病期と健常時という二つの安定したステージの狭間にある。
-寛解期(※一時的、あるいは永続的に症状が軽快した状態。病気の徴候が衰退または減少すること。
  完全な治癒ではないが一時的に症状が消失してみえる安定した時期)前の挿間的な病相(エピソード)
不安定を特徴とする。
悪夢が頻発することがある。
一旦改善したはずの睡眠障害が再び訪れる。
症状が”一進一退”を繰り返す。
強い不安感を惹起する。
落胆や不安が自らを追い詰め、以前のうつ状態を再び招き寄せることもある。
早急な社会復帰へと駆り立てる。
極期は抜け出したが、かといって健康にはまだ程遠いという、曖昧で、どっちつかずの状況に置かれる。
「果たしてよくなっているのだろうか」、「いいのか悪いのか皆目検討がつかない」と戸惑う。
「なんとなくはよくなっているが、まだしっくりこない」という感覚をもつ。
復職を急ぐ。復職を急いではならない
「まだよくなる余地がある」ことを確認する。
-激しい上下運動が、三寒四温的に、一日ごとに、さらにはもっと短いスパンで起こる。
 例えると「超高層ビルのエレベータに一人乗り、外の風景は見えず、階数を表示するパネルもない、
 エレベータは盛んに加速、減速を繰り返し、ひっきりなしに上がったり下がったりしている。
 中にいるものは自分がどのあたりにいるか、そのうち検討がつかなくなる」ようなこと。
-ふわっと無重力空間に入ったり、エアポケットにストンと落ちたような感覚がしばしば到来する。
-一時的に気が大きくなって決めたことが、後々大変な負担になることがしばしばある
職場復帰の希望は、変動の消退を見極めるまでは棚上げにする
抑うつ状態の極期では外環の影響はほとんど受けないが(よいことも悪いことも病相に影響を与えない)
 様々な出来事や対人関係などによって安易に変動する。
「メランコリー型性格」(※注1)の人の場合は、
   (※注1):秩序を愛し、几帳面で仕事熱心、対人関係では律儀で誠実、他者への配慮が強く、責任感が強い
  ・普段の性格防衛はまだ発動していない、か機能していない。
  ・「生の現実」に出くわすと、懐かしさもあるが、まだ馴染まず、どこかぎこちない。
  ・些細なことに反応しやすく、落ち込んだり、はしゃいだりする。
  ・普段は考えられないような怒りのコントロールの悪さを示すことがある
  ・対人関係に敏感となり、他人の気持ちに振り回されやすくなる。特に拒否されることに過敏になる。
  ・周囲との交感性が高まると、自責的(相手が悪いとき、理不尽なことでも自分を責める)に転ずる。
   また、他責的(些細なことで人を責める、或いは他人のせいにする)となり、さらにまわりが
   自分の面倒を見ない、もっとやってくれてしかるべきだろう、などと要求がましくなる。
-心理的にも極めてクリティカルな時期。
病中ではそれどころでなかった現実が気になり始める。
-凍結された状態にあったのが、次第に氷解し始め、傷つきやすい様相となる。
-現世的なものとして、病に罹患したことの現実的な意味を知る。
 (ここにきてはじめて、人生の上で大きな損失を被ってしまったことに気付く
-「申し訳ない」、「迷惑をかけた」といった罪悪感の形で表出する。
「取り返さなければ」という心性に繋がり、焦りや気負いに雪崩れ込む。
『取り返さなければ』という思いは、回復期においてほとんどの患者が抱くものと考えてしかるべきもの。
罪悪感を抱く一方で、どこかで「周囲は自分を受け入れてくれるだろう」と思い込んでいる節がある。
しばしば甘い見通しをもつ。
-回復期の患者が抑うつ的になるとき、「一時的な気分の変動にとどまる場合」と「病相が再燃する呼び水」にもなり得る。
よくも悪くもなり得る。(どちらにどう転ぶかわからない、不確定性をはらんでいる)



何せ、『双極性障害(BD)』は生涯にわたり予防が必要なことが一般的である。
死ぬまで”この病気と向き合っていく”覚悟を決め、肚を括ることが寛容だ。
(2011/09/13 14:49)

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