『面談』 2011
9/12
月曜日

今日、直属上司の××課長と面談した。
休職(自宅療養)になってから定期的に行っている。
今回で4~5回目だが、最寄りの駅まで来て下さり、ファミレスで3時間ちかく雑談をした。
XX課長から、こうすれ、ああすれ、ではなくどんな状況か、どのようにしてるか、といったことや、僕が自担当の状況を聞いたり、相互にプライベートなことを打ち明けあったり、といったことをしている。
(いつも驕ってもらってありがとうございます)

ここで、××課長の”×”は”ばつ”、”ペケ”、”ダメ”といった意味を込めているわけではない。

××課長の人物像を簡単に言うと、
『親分肌で、人情深く、数々の問題プロジェクトを立て直し(弊社では問題プロジェクトの納期、品質、コストの計画と実績が乖離する、もしくはしかけていることや、ステークホルダー間の不協和音を本来の形に戻していくことを”火消し”というが)を経験し、人脈広く、誰と何をどうすればよいのか判断・調整能力に長け、性格は温厚で、言葉の例えが上手く、凛としている』
と評すればいいだろう。

XX課長、このくらい持ち上げておけばよろしいですか?
もう勘弁してください。これ以上無理です。
まぁ、冗談だが、XX課長の部下でよかったと心から思っている。

ここ数週間、頻繁に話をする人もいないので、”話す”というのは”癒される”ことが多い。

さて、先週の金曜日、主治医と話をしたが、今の病相は「たぶん混合状態といって間違いないでしょう」と診断された。これは「混合状態」は広義的に鬱から軽躁へ極性が変化する『回復期』(※注1)であって、よい方向に差し掛かっているといえる。

(※注1):マクロ的に見れば、回復期は病相と健常相という二つの安定したSTEGEの”狭間”にある。通常、寛解期の前の挿間的なエピソード(出典: 『うつ病新時代-双極Ⅱ障害という病-』内海健著))

僕自身、ここ一ヶ月の間に変化があったことの一つとして、『思考』が明瞭になってきた、考えることが苦でなくなってきたのである。
まだ、気分や意志は急上昇、急下降を繰り返しているのではあるが・・・

話は脱線するが、僕の過去ブログを見ていると「病相、気分」がモロに文体に表れていることに気付いた。

「軽躁状態」の時は、”~ね、でね、だから・・・ってことでね”のようなため口文体で、読み返すとチャラチャラチャラ男で気分が悪い。ゲロが出る。

「抑うつ状態」では、苦しいのに妙に明るい話題にしたり、文章が極端に短くなる。

「回復期」は、「思考」を取り戻した嬉しさとかはしゃぎたいのか自分でもよく判らないのだが、誰かを傷つけたり、公表するようなことでもないことまで書いてしまうのではないだろうか、と深く反省している。

僕のブログを見てくれる広い意味で面識のある人では、
兄、姉、息子、たまに娘、直属上長のXX課長、親しい同僚、元カノ、元妻で、「気に掛けてくれている」、「動向が気になる」のだろう。
然るに、例え”元XX”でも”良きに連れ悪しきに連れ”いろいろな出来事があったのだから、見てくださるのは有難いのじゃないだろうか、まだ完全に見捨てられている訳ではないのかもしれない、と純粋にも不純・下心にも思う。(今日は穏健派になっている)

何故かといえば、全く興味なく無関心であるならば、どこでどうしてようが、野垂れ死のうが気にもならないはずだ。
逆に僕が”元XX”系のブログを覗くのは、未練がましいというのではないが、どう過ごしているのか、正直気にしているわけだから。
だから、一喜一憂するんだと。

結局は、人と人は何らかの形で繋がっている、繋がっていたい、と考えたがる生き物でしょう。
批判的より友好的で肯定的、粗探しより良いところを見てあげる、これは簡単ではないことも多いが、この方が格段に人生をポジティブに過ごせるだろうし、「幸せ」や「心の安らぎ」を感じられる機会が多くなるのではないでしょうか。


さて、次ブログでは『回復期の動揺』、『今、何を行動しようとしているのか』、順追って話題に採り上げる予定。(2011/09/12 17:12)

【事務連】XX課長、状況経緯等は適当にこのブログをご覧頂いて判断下さい。何かあれば、携帯へ連絡下さい。 

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