台風の思い出 2011
9/2
金曜日

今日は気分が少し(+)だ。
昼寝ばかりしたからか、目が冴えて眠れなくなってしまった。

 台風12号が北上している。「大型の台風12号は2日夜、四国沖を北上し、四国のほぼ全域と近畿の一部が風速25メートル以上の暴風域に入った。気象庁によると、3日未明から明け方に四国か近畿に上陸した後、中国地方か近畿を経て同日夕に日本海に抜ける可能性が高い。西・東日本の太平洋側を中心に局地的に非常に激しい雨が降っており、同庁は大雨、暴風、高波に厳重な警戒を呼び掛けた。(時事通信)」と。

この台風は四国直撃だ。

僕の田舎は徳島で兼業農家だった。
昨年までお米は人に任せて作ってもらっていたが、今年からは作っていない。
父も高齢で、兄も仕事があるからだ。

子供の頃、稲作は二期作だった。だいたい周りの農家もそうだった。
一期目はは3月に稲代(なわしろ)を作り、4月上旬に田植え、8月に刈り取りをする。
これを早生(わせ)米といっていた。
台風を避けることが大きな目的だ。

二期目は時期をずらし、5月のGW頃に田植え、9月中~下旬に刈り取りをする。
これは穂がよく実り、早生米より美味しい、ということで家で食べる分にも回した。

稲刈りした稲は、稲を束ねて、横木(竹)に吊し、天日乾燥をさせていた。
(僕の田舎では『はで』と言ってたが各地方で独特な呼び名があるようです)
※地方によって稲掛け(いねかけ、いなかけ)、稲機(いなばた)、
稲架(はさ、はざ、はせ、はぜ、はで)など異称も多い。(ウィッキペディア参照)

この後、脱穀、乾燥機で乾燥、籾摺り、出荷するのが通常の流れだ。

僕は小学生の高学年から高校生まで、バインダーで稲を刈ったり、
『はで』に稲束を掛けたり、脱穀の手伝いをするのが好きだった。

四国は台風の通り道であり、子どもの頃は毎年、何本もの台風が通過した。
暴風雨で、雨が縦に縞模様を作り、横風で斜めに流れていく有様が何故かドキドキして、飽きもせずに、
ずっと家から外を眺めていた。

小学生だったある夏の日、大型台風が直撃した。
バケツの水をひっくり返したような土砂降りで、稲刈りを終え、『はで』に吊した稲束ごと浮き上がり流れ出した。
父と母は田圃で腰まで雨水に浸かりながら、流れていかぬよう、食い止めているのを家からずっと眺めていた。
台風が来ても、はしゃいではいけないんだ、と子供心に思った。

これも小学生だったある年、ようやく台風が通過し、その後は秋晴れとなった。
台風の後は一段と空が青かった。
豪雨による増水により、家の前の道、本来あるはずの田圃一面が、すっかり姿を消し、湖のようになっていた。
既に稲刈りは終わっていたように思う。
この時は我を忘れてはしゃいだ。
早速、納屋にあった大きな板に、風呂の椅子を載せ、竹を杖にしてスイスイと筏漕ぎをした。
これは面白かった。
違う世界にワープしたような気分だった。

あれや、これやと「台風」の思い出が懐かしくもあり、また台風の被害が無いようにと祈るばかりである。
(2011/09/03 2:26) 


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