『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール著 2010
5/15
土曜日

 本書は、Pierre Bayard,Comment Parler des livyes que l'on n'a pas lus,Paris,Editions deMinuit,2007の全訳。原書は2007年1月にフランスで刊行されて直ぐに大きな反響を呼び、たちまちベストセラーとなり、2008年夏現在、約15ヶ国語に訳され、さらに約15ヶ国語で翻訳が進行中だという。

 さて、「読んでいて当然」だと思われていればこそ、逆に読んでいないことは恥ずべきことだとされる。そこから見栄や虚栄も生まれるが、これにたいしてピエール・バイヤール(著者)は「読まなくてもいいのだ」、「本は読んでいなくてもコメントできる」と説く。「読んでいることがかえって障害となることもある」とまでいう。こんなパラドックス(逆説)がまかり通っていいのだろうか。著者が文学部の教授であるがゆえに、あらゆる場で、本に対するコメントを求められることも、職業上の最大の理由となっている。著者がいうように「人が本当のところ、どの程度本を読んでいるかはよく分からない」と。本の読み方にもいろいろあるとなればなおさらだ。バイヤーがいみじくも指摘しているように、この種の質問をすることは、どのくらいの頻度でセックスしているの?貯金はいくらあるの?などと訊くのと同様、タブーだとも言っている。本書の目的のひとつは、こうした「読書コンプレックス」から我々を解放することなのだ。

 文中から「・・・・書物というものを、学校時代以来、触れてなならない[神聖な]ものとして思い描いており、書物に何か変更を加えると直ぐに罪悪感をいだくものである。こうした禁忌を取り払うことなしには、文学テクストというこの無限に変化する対象に耳を傾けることはできない。文学テクストは、会話や書き物による意見交換の本質的な一部であり、読書ひとりひとりの主観性と彼の他人との対話から生命を得ているのである。これに耳を傾けるためには、こうした状況にあって文学テクストが秘めることになる潜在的可能性のすべてに敏感になれるよう、特別の感受性を磨かなければならない」と。また「読書と創造とのあいだには一種の二律背反が見られるのであって、あらゆる読者は、他人の本に没頭するあまり、自分の個人的宇宙から遠ざかるという危機にあるのだ。読んでいない本についてのコメントが一種の創造であるとしたら、逆に創造も書物にあまり抱泥しないということを前提としているのである。みずから個人的作品の創造者になることは、したがって、読んでいない本についていかに語るかを学ぶことの論理的な、また望ましい帰結としてあるといえる。この創造は、自己の征服と教養の重圧から解放に向けて踏み出されたさらなる一歩である。教養というものはしばしば、それを制御するすべを学んでいない者にとって、存在することを、したがってまた作品に生命を与えることをを妨げるものなのである。」と述べている。

 しかしながら、如何なものか、僕は身銭を切って買った本は、最後の活字一文字まで、きちんと読むのが著者への流儀であり、自分への見返りだと思っているのだが・・・・(2010/05/15 13:31)

読んでいない本について堂々と語る方法
読んでいない本について堂々と語る方法 ピエール・バイヤール(著)
大浦 康介(訳)

おすすめ平均
stars仕掛けが満載。いろんな読み方ができる本
stars解釈とはなにか。
stars独り占めしたかった名著
stars意外とロジカルでアカデミック
stars読まないで本を語ってもよいが

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単行本: 248ページ
出版社: 筑摩書房
言語 日本語
ISBN-10: 4480837167
ISBN-13: 978-4480837165
発売日: 2008/11/27


内容紹介
欧米で話題沸騰 〈未読書コメント術〉

 本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ……
大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス論壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。
これ一冊あれば、とっさのコメントも、レポートや小論文、「読書感想文」も、もう怖くない!

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