『木を植えよ!/宮脇昭著』(2) 2010
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木曜日

 明日書こうと思ったが今日書いちゃえ。その(2)だ。この著者「宮脇昭」氏は岡山県の出身で、御年82歳と思われるが、講演の最中でも”せ”を”しぇ”と発音してしまう。つまり、”混ぜる”は”まじぇる”と言う。実は徳島県でもこれと同じであって、全員がそうではないが、方言だ。例えば、「先生、先輩の背中に蝉が留まっています」を徳島弁風にいうとですな、「しぇんしぇい、しぇんぱいのしぇなかにしぇみが・・・」となる。方言とは実にすばらしく豊かではないか。お国言葉を大事にしてほしいね。ま、これは余談。

 さて、氏の「鎮守の森」、土地本来の樹種である高木(シイノキ、タブノキ、カシ類)を中心に、高木(25m)を支える亜高木(15m)(ヤブツバキ、モチノキ、シロダモ、ヤマモモ、カクレミノ)、低木(5m)などの混植、密植を勧めている。これら、照葉樹林と言われる樹木は災害対策にも有効で、多層群落の森(※)では、それぞれの層で雨は弱められ、幹を伝って土中に浸透する。根の特徴としては地中深く巡らされ、地中深く入り込む深根性、直根性がある。

 (※)多層群落の中で樹木は、お互いに競い合い、我慢しながら共存し、その結果、森は立体的な構成となる。

 主木であるツバキやタブノキなどの照葉樹というのは、一般に葉が厚く光沢があり、太陽の光で光る。それで照る葉、照葉樹という名が付いている。これは日本文化の原点で、土地本来の森や生活、食べ物とも関係があり、サトイモ、コンニャク、豆腐、醤油などは、照葉樹林帯の国々に共通している食材らしい。

 生態系(ecosystem)の中で、人間は生産、消費、分解・還元のシステムの中では消費者の立場で生かされているのだと。循環とは、無機物質の地面の落ち葉、動物の排泄物、死骸などの有機物は、微生物によって無機物に分解され、土中に浸透し、大部分の植物は、養分を土中から水に溶けた溶液の形で吸収する。植物の有機物質の構成に使われたそのような無異物は、それを食べる動物の体を通して、あるいはその植物が枯死して、土壌に再び還元されていく、ということになる。

 僕の中では、従来の活動である「施工林(人工林)」と「天然林」の差異も理解したうえで森林を育む活動をこれからもしたいと誓う。

単行本: 220ページ
出版社: 新潮社 (2006/11/22)
ISBN-10: 4106035723
ISBN-13: 978-4106035722
発売日: 2006/11/22


 さあ、この本、直ぐ読めるので、是非とも勧めたいが、人間に何故森が必要なのか、日本列島の特徴を捉え、日本人と森の関係、実際に森をどのようにして作っていくのか、また、街や自宅の庭にも森を作ろうとする具体例も書かれている。コンクリートジャングルでお疲れの皆様、自然回帰で、人間本来の遺伝子的志向で、心安らかに過ごしたいよね、だから、いいから、この本を読め!と僕も言いたい。(2010/03/04 22:41)

 植物生態学者の著者が、森と文明、日本人と森の関係、正しい植樹方法などを論じる。人類は文明の発達とともに森を開発の邪魔者とみなし、破壊してきた。日本人も樹木を伐採し、水田や畑を耕し、街を作ったが、文明国・先進国の中では唯一、森を「皆殺し」せず、「ふるさとの木によるふるさとの森」を残してきた。しかし、ここ半世紀ほどは残された最後の森を破壊し、人工環境、人工都市を形成している。著者は今こそ、森と共生する生き方を見直し、本物のふるさとの森を作るべきだと訴える。その際には「潜在自然植生」を考慮して主木の樹種を選ぶことなどが重要と指摘する。

出版社/著者からの内容紹介
 緑化であれば、どんな草木でもいいわけではない。潜在自然植生、すなわち「正しい森」こそ、災害に強く、手間がかからず、半永久的に繁り続ける。日本人は、先進国の中で唯一、森を皆伐しなかった。そして、日本列島ほど森の生育環境に適した国はない。照葉樹林文化をルーツとする日本人は、今こそ率先して人類を救う正しい木を植えるべきだ。「鎮守の森論」から「森と文明について」「実用的な植樹の方法」まで、「実行する植物生態学者」宮脇昭の60年にわたる森林哲学と植樹方法のすべてが分かる決定版。


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