『三陸海岸大津波』吉村昭著 2010
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土曜日

 昨日と今日の昼までに読んだ吉村昭氏の『三陸海岸大津波』。これは三陸海岸地方に発生した明治29年、昭和8年、昭和35年の津波を中心に書かれている氏の昭和45年の著書。

 津波は自然現象ゆえ、なかなか根本から根絶することは不可能で、また、反復して起きうる危険性をはらんでいる。特に東北地方太平洋側は、本文から著者の言葉を借りると「北は青森県の八戸市東方の鮫岬から南は宮城県牡鹿半島にわたる三陸海岸は、リアス式海岸として、日本でも最も複雑な切りこみのおびただしい海岸線として知られている。その特有な地形を形づくっている原因は、東北地方の背骨ともいうべき北上山脈が三陸海岸にせり出しているからだ。海岸線に沿って歩いてみると、山脈がそのまま不意に海岸に落ち込んでいることがよくわかる。山脈から触手のようにのびた支脈が半島になって海上に突き出し、巨大な自然の斧で切断されたような大断崖が随所に屹立して海と対している。海岸には山肌が迫り、鋭く入りこんだ湾の奥まった箇所に村落がいとなまれている。そのわずかな浜に軒をつなれる家々は、辛うじて海岸にしがみついているようにみえる。三陸沿岸を襲う津波は、例外なく地震と密接な関係を持つ。沖合は世界有数の海底地震多発地帯で、しかも深海であるため、地震によって発生したエネルギーは衰えずそのまま介す二に伝達する。そして、大陸棚の上をなんの抵抗もなく伝わって海岸線へとむかう。三陸沿岸の鋸の歯状に入りこんだ湾は、V字形をなして太平洋に向いている。このような湾の常として、海底は湾口から奥に入るにしたがって急に浅くなる。巨大なエネルギーを秘めた海水が、湾口から入りこむと、奥に進むにつれて急速に海水はふくれ上がり、すさまじい大津波となる。つまり三陸沿岸は、津波に襲われる条件が地形的に充分そなわっているのだ。」と。
さて当時の死傷者、流失家屋は以下の通り。

死傷者 流失家屋
明治二九年の大津波 26,360人 9,879戸
昭和八年の大津波 2,995人 4,885戸
昭和三五年のチリ地震津波 105人 1,474戸

 これらは観光客・部外者からは破天荒とも思えるほど大げさな防波堤構築や避難訓練を毎年欠かさず行うというような教訓を得た。

 明治29年に襲った地震のエピソードをいくつか本文より紹介したい。
・本吉郡相川村:津波の波浪は、村の中を流れる渓流に沿って三キロ奥の上流にまで駆け上り、その付近になった多数の太い桑の樹をねこそぎにし、折り倒していた。
・奇妙な体験をしたものは多いが、佐藤栄四郎の妻某女は、入浴中であったので、風呂桶に入ったまま激浪とともに七〇〇メートルほど奥の谷間に運ばれた。
・気仙郡広田村:津波の激しさを示す口径は随所にみられたが、この村でも山腹に帆船が、また二〇メートルほどの高地にカツオ船が打ち上げられているのが人々の眼をひいた。
・北閉伊普代村:・・・住民の死体を村民達が津波来襲の翌日探していると、赤ん坊の泣き声がきこえる。村民があたりを探すと、意外にも一七メートルほどの大樹の枝に子供がひっかかって泣いていたという。それは、生後一年にも満たない嬰児で、その家族のただ一人の生き残りであった。

文庫: 191ページ
出版社: 文藝春秋 (2004/3/12)
ISBN-10: 4167169401
ISBN-13: 978-4167169404
発売日: 2004/3/12
出版社/著者からの内容紹介
明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年チリ地震
人々に悲劇をもたらす大津波はどのようにやってくるのか。前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書

 津波は昭和三五年のチリ地震により12,000キロも離れた太平洋を挟んだ対岸の日本まで20時間をかけて襲った。これは怒濤のように襲い来るものではなく、じわじわっと海面が盛り上がってきた。そして地震の後発生するケースもある。明治二九年、昭和八年の津波が該当する。この場合、津波襲来前の現象として、発光現象(稲妻のような閃光、空にスパーク状の怪火、青い光、そして赤色に変じて尾を引き消える、放電光)や、大砲の砲撃音(汽車の爆走するような大音響、ダイナマイトのような爆発音、砲撃音)などの事象が多く目撃され、聞かれている。

 そういや、ウルトラマンや怪獣映画でも、怪獣が現れるとき、海の底から青白い光がピカリ・ビカリ光っているような演出があるなぁ。こりゃどうでもいいけれど・・・・

 津波が来る前は沖に海水が干いて、海の岩肌が現れることや井戸の水が涸れたり、濁ったりする現象もみられるという。そして、襲いかかる津波は10メートルから20メートルの高さとなり、入り混んだ湾にくると、さらに高く盛り上がり、山肌中腹の海面から高さ50メートルにある民家まで押し潰した。その速さは秒速160メートルにもなったという。家は水圧で粉砕され、人の体とともに激しく泡立つ海水に巻き込まれ、やがてそれは勢いよく干きはじめた海水にのって沖へとひきさらわれていった。津波は数波に繰り返し襲い、多くの人々が津波に圧殺されひきさらわれた。

 今一度、自然の驚異に厳粛に備えをしておかないといけないのではないだろうか、僕は何も準備していないな。(2010/01/09 15:18)


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