『特攻回天戦―回天特攻隊隊長の回想』を読んで 2009
8/17
月曜日

 ヘッドラインの『特攻回天戦』を読み終えた。 「眼のある魚雷・回天」の全記録として、日米両方の側から公平な戦果・考察が加えられており、資料本としても一級だろう。 数年前見た、靖国神社の「遊就館」にも人間魚雷として展示されているし、映画「出口のない海(2006-横山秀夫原作、山田洋次監督)」でも取り上げられていて、是非、文献をきちんと読んでおきたいと思っていた。

 戦果は充分では無かったことは、本書から明らかに、且つ詳らかにされているが、著書の一人である小灘 利春氏は、海軍兵学校72期卒の回天搭乗員で、分隊長、教官の立場から、よりリアリティのある回想と事実史になっている。

 回天戦は、「兵器」「搭乗員」「用兵」の3要素に分析できるとし、これまでの回天に関する論議は「兵器」の可否に集中していて「用兵」(使用方法)に言及したものはほとんど無かった。 その「用兵」にこそ、回天戦の成否の問題が存在しており、さしたる成果を生まないまま終わってしまった最大の原因があるとしている。 「兵器」と「搭乗員の操作技術」よりも、根本的問題が、「用兵」上の欠陥にあったとのだと。 つまり、もう少し具体的に補足すると、

 ・停泊地に「回天」が向かう場合、搭乗員にとって、環礁への入り口である狭水道を探すことが一番苦労もするし、問題になる点であった。 にもかかわらず、潜水艦隊の参謀は、回天発進を<暗闇の時刻>に指示した。 暗闇の時刻とは、人間の眼の見えない未明であったこと。 更にそれを受けた潜水艦長も、作戦成功の重要ポイント<視界を左右する気象状況はどうであるか>を度外視して、回天を発進させる指定時刻のみを墨守した。 つまり、その眼が見えないまま発進し、結局、その特色が活かされることがなかった。 そのため搭乗員の使命と生命は、多くが虚しく消えてしまった。

 ・戦術の要諦は、「先制」と「集中」にあるが、人間魚雷・回天の効果は、「最初の奇襲攻撃、一挙大量投入」これしかないのに、生産の遅れ、用兵の悪さによって実現しなかった。 つまり戦機は一度、その後にも先にもない、それを「回天作戦」は逸らしてしまったといえる。

 それでは「回天」が有効な兵器であったとして、成果を挙がらなかった。 これを挙げるためにはどうすべきであったか?

  1. 「回天」の性能と、その限界を知ること。
  2. ”敵を知り己を知る”こと。 →港湾防備の施設・警戒艦艇の配備など、情報の調査とその収集分析の能力と努力。
  3. 航空部隊、根拠地域との連携を高めること。
  4. 平時の官僚的縦割り組織であったことから「回天戦」も片手間に処理されていたことによる横断的組織の見直しをすること。
  5. .年功序列による弊害の排除すること。

 これらをうまくコーディネートするには既に遅きだったのだろうね。 日本は敗戦色ムードを隠す一億総玉砕ムードの助長、物資・人的リソース不足、行き当たりばったり思想(戦略貧乏)、人間の生命の尊厳無視と、ドタバタ過ぎて、亡国の恐れから、敗戦宣言を延ばしに伸ばしたツケがきたと僕は考えるけれどね。 しかし、これだけ愛国心のある”日本”という国は他国には類を見ないのじゃないかな。 いい意味でね。


小灘 利春 (著)
片岡 紀明 (著)
単行本: 386ページ
出版社: 光人社 (2006/10)
発売日: 2006/10

内容(「BOOK」データベースより)
潜水学校付の同期7名、うち6名特攻戦死。ただひとり生き残った海軍士官が「人間魚雷」の構想から用兵・実戦まで、戦局の一挙逆転を計った「回天」戦の全容を初めて明かす海底戦記の決定版。93式酸素魚雷に手を加えた、人が乗って操縦し敵艦に体当たりする戦略的奇襲兵器“目のある魚雷”とともに生き死んだ“海のサムライ”群像。

内容(「MARC」データベースより)
ただひとり生き残った海軍士官が「人間魚雷」の構想から用兵・実戦まで、戦局の一挙逆転を計った「回天」戦の全容を初めて明かした海底戦記。「目のある魚雷」とともに生き死んだ「海のサムライ」群像を描く。

 局地攻撃として、本書には時系列に□□隊として、どの潜水艦で、艦長は、搭乗員は、行動状況は、戦果は、被害は、が詳細に記されている。その□□隊としては、菊水隊、金剛隊、千早隊、神武隊、回天隊、多々良隊、天武隊、振武隊、轟隊、多聞隊、基地回天隊、海上挺身隊と記述されている部分は、事実史として貴重と思った。

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