子供時代の唯一写真館の一枚 2009
4/27
月曜日

  今日は、『波切り草/椎名誠著』を朝、読み終えて、吉村昭著の『私の流儀』を読み始めた。

 さて、この写真は、子供時分の家族として写真館で撮った唯一一枚の写真だと思う。1970年、お正月に、四国八十八箇所のひとつ、日和佐(ひわさ)にある『薬王寺』毎年お参りをするのが恒例となっていた。

 写真の裏に父の字でメモ書きがある。
 S.45.1.2
  弘一 37
  孝恵 32
  均 中二
  京子 小四
  省吾 小二

 しかし、父も母もこうしてみると若いね。

 ここで、僕の子供時分の記憶から辿ると、父と母の馴れ初めというのは、昔の時代のことだから、fall in LOVEってことはなかったが、

 今は亡き祖父が、「弘一(父)、そろそろ結婚せなあかんのぅ」と言ったらしい。それで、祖父はこの界隈に住む適齢期の娘さんたちの名前をひとりひとり挙げていったらしい。父は一向に首を縦に振らない。

 しかし、在所に住む孝恵(母)の名前を挙げたとき、まあ、動揺というのか、うろたえというのか、どれだけ、首をしゃきっと縦に振ったかどうかは知らないけれど、「もうらう!」と言ったか言わなかったのか、寡黙な父からそんな真実を白状させることは、地球が崩壊してもありえないだろう。

 簡単な話、、祖父は”これは脈あり”、と判断したらしい。打診を受けた母の両親は、「ほらぁ、こういっちゃんやったら間違いないわ。あすこのおじいさん、気難しいけど、こういっちゃんだったらしっかりしてるから、たかえ、もろてもらい・・・」と、あれよあれよの間に、とんとん拍子で話は進んだのだそうだ。

 弘一23歳、孝恵18歳の時だった。(合ってる?) それで、母から時折聞かされたが、当時(昭和30年頃)の田舎のこと、婚約中といっても、今の時代のような”いちゃいちゃ”はない。ましてマイカーがあるような時代でもなかった。父が母に「映画見に行くか?」と誘ったらしい。隣町の橘(たちばな)に映画館があり、自転車の後ろに横すわりに乗って、映画を観にいったのだそうだ。

 映画の前か、後か記憶にないが、商店街で自転車に二人乗りのカップルが、何にぶつかったのか、よそ見していたのか、いちゃついていたのか、そこは聞かなかったが、自転車に乗ったまま、倒れ、母は商店街のど真ん中で、おもいっきり放り出されたらしい。

 「もう、あの時のことっちゃ、恥ずかしいて、よう忘れんわ・・・」といいながらも、うれしそうに語る母の顔はまるで少女のようであった。(子供の頃の思い出話はテキトーに不連続に続くだろう・・・)

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