『白鯨』第74章.マッコウ鯨の目<後半> 2009
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月曜日
2009/04/06 12:10頃 鮫島公園にて  

 前半の続き、「マッコウ鯨の目」の部分を。

 『レヴィヤタン(注釈:レヴィアタン(Leviathan, 英語読みリヴァイアサン)は、旧約聖書に登場する海の怪物である。その起源はワニやクジラに遡る可能性もある。「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語liwjatanから来ている。また未加工の羊毛を洗う装置のことも意味する。それからレヴィアタンという言葉は大きな怪物や生き物を意味するものとなった。 キリスト教七大罪・嫉妬の対応悪魔。(※出典:ウィキペディア)の視覚に関しては、さらに興味津々たる問題を提起することもできるが、いまは簡単に示唆するにとどめたい。人間の目は光りに晒されている限り、見る作用は不随意的なものである。つまり、眼前にある対象物は、それが何であれ機械的に見ないわけにはいかない。しかし、どなたも経験でおわかりのように、人間の目は多数の対象を一挙に捉えることができるが-大小を問わず-ふたつの対象を同時に注意を集中して入念に吟味することはまず不可能である。だだし、ここでふたつの対象が並んで相互に接触している場合のことは考えないでおこう。

 しかし、ふたつの対象物をうんと引き離し、それぞれの対象の周囲を漆黒の闇で取り囲んでみるとする。すると、一方の対象に注意を集中して見るならば、もう一方はその時の意識の対象から完全に阻害されることになるだろう。では、鯨のばあいはどうか? 両方の目が同時にはたらいていることは事実だろうが、鯨の脳が人間の脳よりはるかに包括的に機能し、融合的にはたらき、繊細巧妙にできているとしても、鯨はふたつの別個の映像を、一方を片側に、他方を正反対の側に置いたまま、注意深く検討することができるというのだろうか? もしもそうだとするなら、これは驚嘆すべきことであって、人間にあてはめれば、ユークリッド幾何学のふたつの別問題を同時に証明してみせるようなものである。厳密に検討してみても、この比喩に遺漏はないはずである。』

 どう、話の脈略が判らないで部分的に抜粋しても辛かったかな。まあ、こういった切り口の自在変化な変わり身の速さが随所にこの『白鯨』には散りばめられていて、実に奥ゆかしい・・・よね。でしょ?

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