『白鯨』第74章.マッコウ鯨の目<前半> 2009
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月曜日
2009/04/06 12:10頃 鮫島公園にて  

 櫻も今が絶頂期、儚く綺麗なものは短命がいい。だから惹かれる。

 『白鯨』を280ページ読んだ。今回は生理学者的様相を呈する本著者、メルヴィルの第74章から。別に面白い部分を敢えてピックアップしているつもりじゃないのだけれど、でもね、これが150年以上も過去に執筆されたと思えば、この人の博学的・無限大的考察能力は、並外れたものがあったのだと思うよね。しかも一番大事なことなのは、子供のような素朴な疑問を持っていることだと思うのね。知識をぶちまけるだけじゃなくて、ウィットというか、素朴な疑問を自分なりに掘り下げてみる、ってところがすばらしい。

 鯨の中でも名高いマッコウ鯨の体躯がどのような形で、目玉がどこについているか、って考えてごらん。なにげにぼんやり想像できたら、次の抜粋(中巻)をご紹介しましょ。二頭の巨鯨、マッコウ鯨とセミ鯨を比肩出来うるものじゃないのだけれど、どういった個体差があるか比較していて、「マッコウ鯨の目」の部分を。

 『さて、鯨の目が側面の奇妙な位置についていることから判断して、鯨が真後ろの物体を見ることができないもは言うまでもなく、真正面の物体さえ見ることができないこともあきらかである。別言すれば、鯨の目がついている位置は人間なら耳がついている位置に相当するのであって、その不便さかげんは、耳で横のものを見ようとするればいかがなものかを想像してみればたりよう。真横にひらかれた視野の側線が前方に三〇度、後方に三〇度しか開いていないわけである。かりに諸君の不倶戴天の敵が、白昼に手に短刀を持って真正面からまっすぐに近づいてきても、真後ろから忍び寄ってくるときは言わずもがな、敵の姿は全く見えないのである。

 別言すれば、背中が前後にふたつあるようなものであり、同時に正面(横正面)もふたつあるようなものである。人間の正面を決定するものは何か?-目をおいてほかにあるまい。

 そのうえ、わたしがいま思いつくことができるあらゆる動物のばあい、両の目は、それぞれが見たいものを脳の中で絶妙に合成して、ふたつではなく、ひとつの映像を作り上げていることができるようにあんばいされているのである。ところが鯨の両の目は、それがついている位置の特異性ゆえに、何立方フィートもある堅固な頭によって完全に分離されている。その頭はふたつの谷間の中間に聳える大山岳のようなもので、こうなれば、もちろん、個々の独立した視覚器官が結ぶ映像は相互に無関係な映像であることは言うまでもない。それゆえ、鯨は一方の側にある特定の映像を見ながら、同時にもう一方の側に別の特定の映像を見ているのであって、鯨にとって、その中間にあるのは深遠な闇であり、それは無に等しいに違いない。人間は、つまるところ、ふたつの窓枠で繋がった哨舎の窓から世界を眺めているのである。しかし鯨のばあいには、このふたつの窓枠が別個にはめこまれているので、二つの別個の窓からながめることになり、そのために視野が大きく欠損するという悲しむべき事態を招いているのである。この鯨の目の特異性は捕鯨業界においてはつねに留意されるべき一点であり、読者諸氏も、本書における今後の捕鯨シーンを読まれるにあたっては、ぜひこの点に留意されたい。』


 ちょっと長いので区切りを入れよう。まだ、ほんの少しだけ続くのでね。一服しましょ。(続く

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