少し前に読んだ「マッカーサーと吉田茂」(その1)、(その2)、(その3)、(最終回)に白洲次郎氏が頻繁に登場する。昨年暮れあたりから、書店に彼に関連する書籍が並びだした。NHKでも3回シリーズの2回が放映されたので(僕は全然TVを見ないので見ていないけれど)興味がある方も多いのじゃないかな。
(右写真)「占領を背負った男(上下巻)」を買った。上巻の丁度半分まで一気に読んだ。面白い、痛快で一気呵成に事を成し遂げる彼の生きざまに吸い込まれるね。
彼はダンディズムで慣らした男となっているけれど、まさにそうだね。実際、ケンブリッジ大学(英国)クレア・カレッジに留学していたし、先見の目というか、戦時中も常に先を見ていた。
戦後(昭和二十年十二月)、吉田茂(当時外務大臣)の大改革の元、彼の指名で「終戦連絡中央事務局長参与(※注1参照)」に大抜擢した。
『戦争に負けて外交に勝った歴史もある。これからが正念場だからな』吉田は次郎に期待を込めてそう語った。
白洲次郎氏と夫人の白洲正子さんが戦時中から農業をやりながら生活した場所が公開されている。明日行ってみようと思っている。
→「武相荘(ぶあいそう)」※(町田は鶴川)武蔵野と相模の間にあるので、彼流のジョークで無愛想と掛けたのだね、茶目っ気のある人でもあったわけだ。
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彼の人なりは出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にそれなりに要約されている。
(※注1):終戦連絡中央事務局(終連)とは、政府とGHQ(総司令部(General Head quarters))の間の折衝を行うために新設された役所で、自治権を取り上げられ、自主外交も認められなかった当時にあってみれば、この終戦連絡中央事務局こそがあらゆる役所の中でもっとも重要な機能を担うことになった。そのために新設に当たっては各省から俊秀が集められた。一方、白洲次郎の名は中央ではまったく無名である。実績もない次郎がいきなりこうした重職に就くことは、とりわけ官僚たちの間で強い反発があった。(本文より抜粋)
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