『利己的な遺伝子』(その1) 2009
1/25
日曜日

 『獲得形質は遺伝しない』
 生涯にどれだけ多くの知識や知恵を得ようとも、遺伝的手立てによってはその一つたりとも子供たちには伝わらない。新しい世代はそれぞれ”無”から始めなければならない。体は、遺伝子を不変のまま維持するために遺伝子が利用する手段なのだからである。

 利己的な遺伝子
 リチャード・ドーキンス (著)
 単行本: 548ページ
 出版社: 紀伊國屋書店  (1991/02)
 ISBN-10: 4314005564
 ISBN-13: 978-4314005562
 発売日: 1991/02

 夕方から、『利己的な遺伝子』を読み始めた。まだ、序盤。そのxで何回かに分割して書いてみようと思う。

 まず、「利己的」とは、”自分の利益だけを追求しようとするさま。「―な生き方」「―な態度」[類語] 勝手なこと。”僕みたいなヤツですね。

 それに対する反対語の「利他的」とは、”1.他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。2. 仏語。人々に功徳・利益(りやく)を施して救済すること。”

 本のタイトルからすると、”遺伝子”は自分勝手じゃないか、ってストレートに読み取れますね。たぶん、そのまんまなのでしょうね。

 チャールズ・ダーヴィンが唱えた「進化論」、ダーヴィニズム理論とか言われるみたいだけれど、たとえば、本当に種の保存・利益に対して、すべてが”利己的”だけなのか、そうなのか、と言い切れるのか?

 著者は、”生き物は「種の利益のために」、「集団利益のために」ものごとをするように進化する、というのは誤解である”と切り捨てている。また、”進化は自然淘汰によって進み、自然淘汰は「最適者」の生存に荷担する”、とも言っている。

 カマキリは大型の肉食昆虫だけれど、ご存じのように雌は生殖中に雄を共食いしてしまう。(これは利己的だろう)

 南極のコウテイペンギンはアザラシがいるかもしれない海に飛び込む一番先手、モルモットになりたくないため、ひたすら全員が待っているときに、誰かを水中に突き落とそうとする。(カマキリよりえぐくはないが利己的だろう)

 働き蜂は、蜜泥棒に対する防御として、’蜂の一刺し’により、命をかけて神風特攻隊となる。刺すという行為で、生命の維持に必要な内臓が普通は体外にもぎ取られ、その蜂はまもなく死んでしまう。(これは利他的ではないか?)

 多くの地上営巣性の鳥は狐のような捕食者が近づくと、いわゆる「偽傷」ディスプレイを行って、親鳥は片方の翼が折れているようなしぐさで巣から離れ、捕食者は捕らえやすそうな獲物に気づいて、おびき寄せられ、雛のいる巣から離れる。最後に親鳥はこの芝居をやめ、空中に舞い上がって狐から逃れることで雛の生命を救う。(これも利他的ではないのか?)

 ”動物の生活は大方が繁栄に捧げられており、自然界にみられる利他的自己犠牲の行為のほとんどが親の子に対するもの”ってことになる。

 各個体がその集団の幸福のために犠牲を払うようにできている種ないし種内個体群のような集団は、各個体が自分自身の利己的利益をまず第一に追求している別のライバル集団よりも、おそらくは絶滅の危険が少ないであろう。したがって、世界は、自己犠牲の払う個体からなる集団によって大方占められるようになる。

 これが「群淘汰」説といわれる。”進化説の詳細を知らない生物学者たちに長年事実だと考えられてきた説である”と、ここでまた切り捨て御免の世界だけれど、なかなが潔い天才リチャード・ドーキンスさん、先々、期待を持たせる書きっぷりじゃないか、ねぇ。

 まだまだ、序の口だけど、また、機会を改めて書こう。でも、この本、とても有名らしいね、科学界を震撼させてしまったらしいのだからね。ニューヨーク・タイムズの書評はこう書いている。「読めばあなたも気分は天才。そんな科学啓蒙書だ。」 どうだろう?答えは自ずと出るよ。

Copyright (C) 2009 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.