『津守純情篇』(7)~地獄から天国~ 2008
12/29
月曜日

 大阪・弁天、土日の38時間、不眠不休の仕事から解放され、昨夜はビジネスホテルで泥のように眠りこけた。

 今日は快晴、久々に18歳に過ごした「津守」へ28年ぶりに朝から出掛け、夕方は、おじさん、おばさんがいる平野に18年ぶりに立ち寄った。

 『純情津守編』で幾度かブログに書いたけれど、なんかね、ほとんど夢をみないのだけれど、新聞を配るのに順路も全く判らず、時間もないのに、新聞を配達しなきゃ、って焦る夢をみることがあるのね。18歳の自分は、自分の時間がまったくないほど、奴隷のような生活をした苦い苦しい時代だった。睡眠時間と自由時間がほしいといつも思っていた。今日の自分探し的な津守徘徊には、思い出以上の感慨があったよね。

 でもね、28年も前のこと、環状線、芦原橋に降り立ち、北津守~津守~南津守まで歩いた。あれ、こんなに津守って狭かったっけ?って思った。あの当時、かけずり回ったのにね。大分、津守も様変わりをして、当時の住宅も少なくなったし、文化住宅なんかあると、ほっとするね。

 苦い思い出は、懐かしい思い出に一括置換され、記憶の襞に収まった。これからは僕に時折、纏わり付いていたダークな悪夢に脅かされることはない。綺麗さっぱり一掃・払拭したね、気持ちの中では。

 さて、津守に僕は11ヶ月しか、実はいなかった。読売の津守の所長が、集金した新聞代金に手を付け、一週間ほど雲隠れをした。全仕事が僕に回ってきた。あ、こりゃだめだ、奴隷以外のなにものでもない、と思って悩んでいた時に、平野にいるおじさんとおばさんが、「近くの毎日新聞で雇ってくれると言っているからおいで」と言って、引き取ってくれたんだ。

 地獄から天国に行ったほど、生活が劇的に変化したんだ。毎日新聞の朝夕刊配達と集金をさせてもらったけれど、配達・集金時間以外の束縛がないから、ほんとに天国のように自由人となったんだね。平野は集金もしやすかったし、おじさんとおばさん家で住まわせてもらって、お世話になった。ほんとうに無償の奉仕というのか、愛を注いでもらったよね。損得なんかまるっきり考えずによくしてもらった。

 今日は、従兄弟のMよとRかも子供達と来て、叔父さんとお鍋を囲んで、旨かったよね。

 記念写真を一枚。明日ももう一日、いることにした。

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