宇宙飛行士が船外活動で「運がいい場合」
<前半>
2008
12/23
火曜日

 宇宙ステーションで、船外活動を行う必要があのだけれど、修理とか、工事とか、これは宇宙飛行士にとっては超気持ちのいい、永遠に出ていたい恍惚のヒトトキであるらしい。眼下に地球を見下ろしながらね。命綱一本で、船外活動をすることを想像してほしい。「運がいい場合」、「運が悪い場合」、天と地の差、運がいい場合も怖いのだけれど、じゃ、「運がいい場合」の話を『絶対帰還。』の中から抜粋しましょ。

 今、万が一何か問題が発生した場合-命綱が切れるとか、手すりや足がかりが壊れて外れるとか、ハッチが閉じて閉め出されるとか-それによって、様々な結果が予想される。この広大な宇宙空間では、生存できる可能性の範囲は恐ろしく狭い。

 死に直面したものは誰でもそうであるように、まずパニックに襲われる。パニックといっても、恐らく悲鳴をあげたり、手足をばたつかせたりといった状態にはならない。

 長年の訓練で、ある程度自分を抑制できるようになっているのだろうし、無線の相手に震える声を聴かれたくないというのもあるかもしれない。が、それでもパニックに変わりはない。心拍数が上がる。呼吸をゆっくり規則的に保とうとしても、浅くなって回数も増える。冷たい水が流れる冷却下着を着けているのに、額から汗が噴き出す。無重力なので、汗は流れ落ちない。

 何らかの理由で汗の滴が飛ぶと、スノーグローブ[人形や風船などの模型の入った球形の透明な容器に水と雲のような小片小片を封じ込めた置物]の中の雪片のように、汗がヘルメットの中を浮遊しはじめる。

 それがやがて湯気になってバイザーを曇らせ、ふたたび顔に付着する。このとき唇をなめると塩の味がする。そして小さな声で自問しはじめる。何か打開策はないか、見落としていることはないか。最後の最後、わずかに残された理性にすがって、中に戻る方法を見つけようとする。
 

 命綱がいつ切れたかによって状況は変わってくるが、最大で七時間ものあいだ自己の深淵を覗き続けることになる。永遠とも思える長い時間かもしれない。しかし、ステーション内にいる仲間が宇宙服を着て救助の準備を整えるには七時間では足りない。かりに救助に出られたとしても、無事に連れて帰ることはできない。

 もしも何らかの力が加わって漂流し始めたら、ステーションは段々遠のいていき、やがて夜空の星と区別がつかなくなるだろう。しかし現実には、ハッチから100フィート(約30メートル)ほど離れたところで身動きがとれなくなる可能性のほうが高い。どこにも手が届かず、背中の推進装置も故障して窒素ガスを噴射できないような場合、ステーションと並行して起動を回り続け、ふたたび合流する可能性はない。すべての状況が理解できたとき、パニックはあきらめに変わり、あきらめは悲しみに変わる。

 そうなったとき、地上に最後の願いを伝えるかもしれない。大好きな歌を流してくれと頼むかもしれない。あるいは、ただ無線を切るかもしれない。もはや耐えられないほど域が苦しくなってきたら、もっと意志強固な宇宙飛行士なら、背中の生命維持装置の下部に装着された二つの緊急用酸素タンクを使うかもしれない。そうすればみんなに別れと告げる時間が増える。しかし、普通はそんなことはしないだろう。ただ涙を堪え、みんなに愛していると告げ、最後の時が来るのを待つだけだろう。 (・・・続く
 

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