「顕在意識」と「潜在意識」 2008
12/3
水曜日
 今日は忘年会が品川であった。

 さて、11/29のブログで、「顕在意識」と「潜在意識」の関係、何故、過去生を覚えていないのか、ってことに触れると書いたので、その話題をしたいと思う。丁度、「永遠のエドガー・ケイシー」も読み終えた。

 人間には皆さんも魂があると思うでしょうけれど、肉体は魂のパターンを投影したものに過ぎない、だから、一人一人の人間は人格も違えば、顔かたちも違うし、基本的な部分での健康状態も違う、霊を考えた場合、これは幽霊とか悪霊の事を言ってるわけじゃないですよ、霊とは、我々に命をもたらしている本源であり、個我(他と区別された個としての自我)-つまり神から独立して存在するという賜物と共に、神から与えられた神の一部と解説している。我々の課題は、この我々の個我を完成し、神の元へ帰るってこと(君、遂に狂ったんじゃないの、何の信教宗教にはまったの?と思わないで)

 ええ、「顕在意識」というのは、皆さんが物心ついてから、自分で覚えている今の人生の記憶ですね。今の今回の人生だけを記録する部分を言ってますね。これが人格となる。

 「潜在意識」というのは、魂がこれまでどんな経験をしてきたかを記録している記録庫であると言ってますね。

 じゃ、「顕在意識」と「潜在意識」の関わり合い、どのような伝達関係かというと、頭で考えたあらゆる思考は、顕在意識から松果体の所にある想像の精神に移される。そこに新たに入ってきた思考は、それ以前に通過したあらゆる思考の中から、どんな関係であろうと、それとの係わりのあるすべてのものと比較される。いったん比較されると、思考は適切に調整・判断されて、潜在意識、つまり魂にとっての精神へ送られる。この潜在意識は霊と一緒に、心臓のちょうど上に存在する。そして思考は記録としてここに保管される。

 記録される思考が明るく建設的なものであれば霊を活性化し、逆に、保管れれる思考が暗く破壊的なものだと、思考は拒否される。しかし、記録としては保管され、そのような破壊的思考が繰り返されるにつれて、魂と霊の間の壁はますます高くなってしまう。
 本来であれば、生命のエッセンスは心臓の所にある潜在意識から松果体の所にある想像の精神を通し、そこからさらに屈折したり、虫の知らせ、直感、切望といった形で脳下垂体にある顕在意識へその生命の光を伝達する。しかし、破壊的思考によって魂と霊の間に壁ができていると、その壁の高さに応じて、輝きを薄暗いものにしてしまう。

 「潜在意識」は我々の過去生を含めたすべての人生での経験や思考を蓄える貯蔵庫のようなものと書いたけれど、過去生での経験なり思考が、どれほど正しい方向に向けられていたかというその程度に応じて、人間は文明化し、洗練され、人間味を増してくる、そして人間の過去の記録は、顕在意識と現在の肉体と通して輝き、体と人格を形成する。

 なぜ、過去生を覚えていないかというと、仮に思い出せたとしても、それによって何も学べないから、それに先入観や、弱さ強さ、好き嫌いといったものをすべて過去生から持ち越し、なおかつそれを抑圧しているのではなく、むしろ積極的にそれを表面に出しているもので、過去生から持ち越した特質が、この世界での自由意志を台無しにしてしまうこともあるから、我々の過去の生き方が、今の我々の性格や知性を作り上げ、魅力的な人間にもすれば嫌悪すべき人間にもする、ってことになる。そして、自由意志を道具に、我々はこの試験の連続とも言える世の中を進んで行く。

 僕は凄くそうだろうな、と思うのだけれど、皆さんはさっぱり???かもしれないな。

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