2008年9月9日(火) 
 『武士道』-仁・義・礼・智・信-その5
ー武士道が目指す「知行合一」の思想ー

 暑さも少しばかり和らぎ、多少過ごしやすくなってきましたね。

 さて、一連『武士道』編、<その1><その2><その3><その4>の続編、<その5>となりましたね。

 <その2>で武士道は行動を重んじると書いたけれど、孔子を源泉とする武士道の道徳律としていて、君臣、親子、夫婦、長幼、朋友の「五倫」は、儒教の書物が中国から日本へもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたものであって、それを確認したに過ぎなかった。冷静で穏和な、しかも世故に長けた孔子の政治道徳の教えは、支配階級のサムライにとってはふさわしいものであったと述べている。

 加えて孔子に次いで孟子の教えは、更に武士道の大いなる権威をもたらし、きわめて民主的な理論は、危害や思いやりのある性質の人には好かれた。
 孟子の書物は長い間、禁書とされたにもかかわらず、思想家の言葉がサムライの心の中に不変の位置を占めていった。

 知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に現われて初めて真の知識となる。

 儒教では人間と宇宙は等しく精神的かつ道徳的なものであるとされた。


■武士道が目指す「知行合一」の思想

 武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならないと考えられた。このソクラテス教義は、中国の思想家:王陽明が最大の援護者となり、彼は知識と行動を一致させるという意味で「知行合一(ちこうごういつ)なる言葉を生み出した。
 陽明学派の弟子の一人、三輪執斎はこう言っている。「天と地と、あらゆる生きるものの神は、人の心の中に宿り、人の心となる。ゆえに心は生き物であり、常に輝く」と。そして付け加えて「われわれの本質的存在の精神的な光は純粋で、人間の意志に左右されない。われわれの心にひとりでに沸き起こり、正しいものと間違っているものを示し、それが良心と呼ばれるものだ。天の神からでる光である」とね。

 2002年に中国へボランティアで植林活動をした際に、歓迎式の場で「天の神、智の神へ」感謝を捧げるため、お酒を上と下に向かって指で弾いて感謝の気持ちを表すってのを各自盃を受けながらやりましたしね、この思想ってエドガー・ケイシーが言っていることと根底が一致していて、僕には染み入る感じがするんだね。

 まだまだ続くかな、今日はここまで。

 じゃ。
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