THE BEATLESのアルバム、イエロー・サブマリンを紹介する。
当時、アニメとして公開された(下段下写真)オリジナルアルバムはオーケストラのアレンジ曲(サウンドトラック)もB面に挿入されている。
(下段上写真)のアルバムは、デジタルリマスターされ、1999/9/14に発売された。ファンの間で賛否両論を巻き起こしたらしい。
この後、ホワイトアルバムと呼ばれる二枚組を作るが、1968年当時の亀裂が生じ始め、メンバ間に緊張感や単独プレーも多くなる。セッション中に口論が起こることもあったでもそれまでのジョン・ポール・ジョージ・リンゴの4人はほんとうに仲が良かった。結束が固くて、友情に溢れ、お互いを思いやることができるバンドであった。何にもましてジョン&マッカートニーコンビの才能抜きでは到達できなかったであろう。。初期はジョンがリーダだったが、本当にバンドを束ねてきたのはポールだろう。
このとても結束力の高いバンドが最後に録音された最後の曲が"Hey Bulldog"とバランサーのジェフ・エメリックも自伝書の中で書いている。
イギリス |
1969年1月17日 (mono/stereo) |
日本 |
1969年3月21日 (stereo)
1982年1月21日 (mono) |
初CD |
1987年8月24日 (stereo) |
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ジョン・レノンの生い立ちを簡単に振り返ってみたい。
ジョンは子供時代に母親ジュリアの姉、おばさんにあたるミミに育てられた。躾が厳しく愛情は薄かったのかもしれない。
ジョンはビートルズで成功たが絶えずミミに認めてもらえるような行動をする。5歳でパパとママ、どちらに付いていきたいか両親がジョンに選択を迫った。最後は母親のジュリアに付いていくことになった。
14歳で可愛がってくれたジョージ叔父さんが亡くなり、その3年後、近所にいた母親、ジュリアンを交通事故で亡くした。世の中で一番大切な人がなんの前触れもなく、この世を去る。ジョンが受けた心の傷は深かった。時折、母の元へ遊びに行ってはバンジョーを教えてもらった。仲良く母・子で会話が出来るようになっていた。それをジョンはとても楽しみとし、心の支えになっていたのだ。
ジョンは本当の愛情を長きにわたって受けることなく、甘える人もいない中で育った。最初の妻になった『ジョン・レノンに恋をして/シンシア・レノン著(河出書房新社/2,800円』を読めば判る。ジョン・レノンの攻撃的・毒舌的・威嚇的な気分は子供の頃に”甘えたいのに甘えることが出来ない寂しさ”がトラウマとなってこのような挙動になっているのかもしれない。
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シンシア・レノンも新婚当時、ジョンとミミおばさんと暮らすのだが、ミミおばさんをケチで文句ばかり言う人と語っている。ミミおばさんは世間一般ではジョンを愛情を持って育てたことになっていることにはなっているのだが・・・
元妻のシンシアが沈黙を破り、2005年に脱稿、2007/03出版された『ジョン・レノンに恋して』はシンシアの目線で素直な心情が赤裸々となっている。ビートルズファンでなくても、より深くビートルズを知りたいかた、ジョンの心の葛藤を知りたいかたには読むことをお勧めしたい。お互い学生だったジョンとシンシアの出会いもせつなく甘酸っぱく書かれている。
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