2008年6月6日(金) 
『純情津守篇』(2)~生活パターン~

 シリーズ(2)、生活パターン、まあ、囚われの身、鳥かごの中の小鳥、檻の中のお猿さん、を自でやっていたことのたわいないお話ですね、まだ、導入部分っぽいかな。

 帰宅途中、新浦安駅で下車、文教堂で、「プロを目指す文章術/三田誠広(2008.5.26)」を買った。別に私小説作家を目指すではなく、興味本位だけ。

(1) 『純情津守篇』(1)~はじめに~

 さて、『純情津守篇』シリーズ(2)、いってみよう。

 元々、新聞配達をして苦労した話をしよう、同情を買おうなんてサラサラ思っていなくて、学んだこと、今に活かせていること、仄仄とした思い出と共に、懐かしい一ページ、って感じのノリで書くので、悲壮感漂う、お涙頂戴じゃないからね。(君、前振りクドイぞ)

 そもそも週休一日制/隔週で休みもあるのですよ、なあんて触れ込みだったけれど、実際そういった販売店もあっただろうけれど、当時は休みがあって誰かが代わりに新聞を配ってくれるなんて僕が知る限りないね。年6回程度の休刊日がどれだけ貴重だったか、それでも集金があったりすると、完全休みだったことは11ヶ月の中で2~3日だったと思う。

 絶えず束縛感・閉塞感があった。

 何故か、ってお話をしましょう。

 普通の新聞の販売店(直配所)は所長がいて、専業員がいて、住み込みで働く奨学生がいる場合もあるし、あとはバイト、何年もやっているおばちゃん、おじちゃんがいる場合もあるし、中高生のバイトで賄うってことが多い。集金だけやってるおばちゃんも多い。 
 しかし、津守直配所には専業員はいなかった。過去から、育英奨学生が専業員と同等の仕事をこなしていた。

 簡単に一日のパターンは、

4:00 起床、チラシ入れ、配達
6:30 不配対応・店番
8:00 学校へ、勉強
15:00 一直線に帰宅
16:00 夕刊チラシ準備、配達
18:00 集金または拡張案内、無いときは不配対応・店番
21:00 今日の終わり、片付け
21:30-4:00 自由時間

 この自由時間に銭湯へ行ったり、飯を食べたり、自分を取り戻す時間だったり、一番必要な睡眠時間となる。読売新聞→毎日新聞と止むに止まれぬ理由で替わるけれど、電電公社に就職するまでの2年近く、僕の一番の夢は、「目が覚めるまで寝たい」、「今日は何しようかな」、って自由な時間がほしい、これしか思い浮かばなかったものね。

直配所のNしのさんは、とてもいい人でしたよ、おじさんはだいぶ歳だったけれど津守の隅々まで知り尽くしていたし、おばちゃんも、たまにご飯食べさせてくれたり、月一度、会食(読売から費用が出る)で、近所の中華飯店へ出かけたりした。

 とはいえ、僕の場合、明らかに「育英奨学生」の範疇より数段オーバーワークを強要されてた。だって、専業員がいない、ってことは店のことは全部やらなくちゃならないからね。
・トラック配達される新聞の受け取り
・電話番(朝・夕)
・新聞不配対応
・チラシ折り込み
・新聞配達
・集金(98%ノルマ)
・拡張員案内
・自転車パンク修理
・残紙整理
等々

 津守は北津守~南津守まで配達エリアを1区~12区まで分割していて、覚えたと思うと所長がローテーションして次の区を覚える、つまり全区域完全把握させる狙いがあったのね、でね、人間て1,000以上も名前を覚えられるか、なんて思うけど順路帳って新聞配達するための自分でマーク入りで作るのだけれど、実際配達しながら、xx文化、2F右1メ(2階右から1軒目)、2ト(2軒隣)、レ(順路折り返し)とか、頭と足で覚えると、北津守x丁目○○荘、△△さんまで頭の中で全部そらんじてしまう。

 だから、℡で、「おう、こら、新聞はいっとらんやないかい、おおっつ、さっさと持ってこんかい、オドレ」となっても、地図を見なくとも、10分以内に届けられるまで、反復訓練していくわけです、難しく考えることはない、場数こなせば馴れちゃうだけね。それと同時に、今月は、朝日が、xx月から、縛り(3ヶ月以上の契約)、単発(一ヶ月だけの契約)とかも合わせ技で覚えてしまう。

【教訓】
◆記憶は何かと同時に、関連付けると効果あり◆

 ごめん、今日の話題、全然面白くない、次回乞うご期待・・・

じゃ。

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