2008年6月5日(木) 
『純情津守篇』(1)~はじめに~

 若かりし日の思い出、誰にも言っていないこと、記憶が薄れる前になんて、思ってね、18歳の頃の話題を『純情津守篇』と題して、マスターベーションしてみよう、ってことでバカバカ企画ですね。

 高校3年まで故郷、徳島で過ごした田舎モノは、音響・映像のプロフェッショナルになりたくて、大阪の専門学校へ行ったんですね。

 高校は95%が進学する進学校だったけど、僕は高校生の時、勉強した記憶がない。するとね、偏差値50前後の大学は行けたかもしれないけど、勉強大嫌いな奴に名の知れた大学なんか、門戸をを閉ざしますね、当然。

 で、好きだったオーディオ系で仕事をしたい、ミキサーやPA的な仕事、映像系の篇集もしたい、なんて漠然と思っていた。

 で、家は全然貧乏とかじゃなかったけれどね、自己責任で生活費位はなんとかしないとイケナイ、親の期待も裏切ってるのだから、って当時の、「読売新聞育英奨学生」を勝手に応募して、面談とかなんか、あって無事、専門学校も推薦パスでokとなって、大阪・西成区は「津守」という直配所に配属になった。

 1980(S55)、3月中旬のまだ肌寒い頃、親や兄・姉がフェリーで見送る中、大阪に旅立ったのですね。雨が降っていた。

 千里の読売新聞研修センタで、2~3日、新聞配達全般の研修があって、当時の津守直配所の所長っていえば聞こえがいいけれど、そこの叔父さんが迎えに来てくれるわけ、で、何十人といた僕と同様の人たちがそれぞれ配属先に行ったんだ。
 ニシナリって徳島にいた僕にもイメージは悪かったですね、怖いところ、・・・なところ、ってことでね。何故、僕だけ西成なんだろう、なんて思ったけれど、覆す理由も拒否する権限もなかった訳で、まだドイナカ丸出しの3月27日に18歳の誕生日を迎える前の17歳だったのだから。

 ここで1980年3月中旬から1981年2月下旬の11ヶ月過ごした奴隷経験が、その後の僕の人生に大きく左右し、鍛えられ、人格を変貌させ、人を信ずることが揺らぎ、怖かった事などシリーズで、「純情津守篇」と題して書いてみようと思う。

 ここで学んだこと、何故、11ヶ月しかいなかったかってこと、犬の思い出、配達のこと、集金のこと、食肉市場のこと、1,000軒以上の家は覚えたこと、僕の神経が10倍図太くなったこと、ほろ苦い思い出だね、今となっては。

 順次、気分が向いたとき書こうと思うから、宜しければ読んでやって下さい。なるべく、楽しくて笑えるようにしたいのだけれどね・・・・
 やっぱ、無理かも、奴隷だったのだからね。奴隷に自由はない。

 今日は導入部分だけね。
 じゃ。。


木津川と阪神高速に挟まれた縦長の地形、北津守~津守~南津守、南北に約4km、どれだけ駆けずり回っただろう。近くには花園、岸里、玉出、北加賀屋があった。(今もある)
Googleマップ

かつて過ごした文化住宅はまだあるようだ。
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