僕たちが植えた2002年の障子松は、こんな感じです。
2008年4月9日(水)

僕たち、ボランティア活動として、「沙漠に緑を(4次隊)」は、2002年05月25日から、6月1日まで、活動した。当時もお世話になった、緑化ネットワークの代表理事 齋藤晴彦さん報告の『2002〜2007年度着工分 コムウェア21世紀の森 2007年度報告書』を入手した。

、あの時、あの空気をみんなで吸いながら、地元の高校生たちと一緒に、障子松を植えたことは、夢じゃなかった。ちゃんと、沙漠に根を下ろし、しっかりと力強く、大きな森となっていく途中経過を見ることが出来て、嬉しくて、嬉しくて、「よし、この調子でどんどん、でっかくなれ、頑張れよ。」と励まさずにはいられなくてね。


 今、緑化ネットワークの齋藤さんをはじめ、活動に参加している人はなんの見返りもなく、それを求めようなんて更々思うことなく、純粋な気持ちで、多くの人たちを植林ボランティアに参加してもらう活動に加わりながら、おそらく、自分たちの手で、皆の手で、この沙漠に、絶対、緑を取り戻してやるんだ・・って信念があると思うのね。事実、徐々に緑は静かに、ゆっくりと拡散・拡張しているのだしね、結果として。

 僕は、退職後、こういったボランティア活動というより、生涯の余生として、植林活動に身を捧げたい、と結構、本気で考えているのね。隣席の”Tんの”さんは、「岩佐さんは、こんなところじゃ、すぐ飽きちゃうでしょ。」って、今日冷やかされたけれど、いやいや、そんなことはないと思うのね。本とロックさえあれば、そして、満天の星空があれば、美味しい空気があれば、それ以上、何を望むっていうの、でしょ。

 厳寒の真冬は、家でこもって読書三昧に過ごせるし、インターネットさえあれば、ロックの新譜も聴くことが出来るし、何ら不自由はないと思ってるわけ。

 既に、どんどん森になっている。虫の音を聞きながら、林の中を通り過ぎる微風に、心地よさを感じながら、自然の中で過ごしたい。

 だからね、「齋藤さん、僕が行くまで、ちょっと位は沙漠を残しておかないと、承知しないからね、判ってる、ええ、齋藤さん。」って、思ってるのよね。

 ほんとうに懐かしい、この写真を見ているとね、なんか、松さんや、看板さんに、おいで、おいで、って呼ばれている感じ。看板君は、「はやくしないと、僕、錆びて朽ち果てちゃうからね」とかなんとか、言ってるね。

 植林活動として、齋藤さん達がやっているボランティアの輪をより広げて、地元の子供達と触れあって、言葉を覚えて、牛さんで畑を耕したりして、素敵でしょ、決して楽な言い面だけ想像している訳じゃないし、地味だし、単調だし、都会的な文明の恩恵を受けることはほぼ無いし、その位の覚悟はしているつもりだけれどね。

 僕の実家は、徳島の兼業農家で、一般人よりは子供の頃から土に触れてきたし、無心に働く両親の姿を見て育ったし、土方をしても人の倍は働く自信はあるし、土方もしたことあるし、高校生の時バイトした土建の「松田組」で、親方が、「誰にも言うな。黙っとけ、ええか。」と言って僕だけ、内緒で200円日当をアップしてくれたし、誰が見て無くても淡々と仕事して、陰日向ないし、持病はないし、健康だし、『何とかなる、何とでもなる、何とかならないわけがない』、って、今はそんな気持ちなんですね、変かな?

 そう、思うのなら、行動準備するだけでしょうね。


(上写真)2002年から、6年経ち、松とポプラ、雑草が生い茂る。

その当時、ここは、どんな姿だったか、↓クリックしてみて。
超ロングショットで当時(2002/05/25)を撮影した写真
※左側に小さく”コムウェア21世紀の森”の看板がある※

【活動報告文面抜粋】
2002 年に着工したハトゥタラ地区の看板前の様子です。ガボウ地区と違い、植生がだいぶ回復しています。


↑当の地元高校生+緑化隊(2002/05/25)


【活動報告文面抜粋】
2002年に植栽した樟子松(下写真)は(左写真)のように育ちました。大きいものは1m 以上になっているようです。


苗木はこんな赤ちゃんでした(2002/05/25)
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Iさわさん(左)と地元高校生(右)(2002/05/25)
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緑化活動(2002)の写真をゆっくりご覧になりたい方は、こちらを。

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