緑化活動・沙漠を緑に! 4次隊参加 旅日記

2002
5/25(土)〜6/1(土)




緑化活動のデモバージョン
↓↓クリック↓↓
僕たちが植えた2002年の
障子松は、こんな感じです
↓↓クリック↓↓

■感 想

不安と期待の交錯した7泊8日の植林体験ツアーも無事終えることが出来、関係の皆様には感謝の気持ちで一杯です。ありていに言えばボランティアですが、困った人を助ける支援とも違う、簡単に言えば困っている地球を助けるということではないでしょうか。文章では思いの10%も伝わらないでしょう。【百聞は一見にしかず】が、今回の植林体験ツアーの素直な感想です。サバクで何を想像しますか? 一面の砂世界、砂嵐、灼熱地獄、サソリ、サボテン、駱駝、蜃気楼、オアシスですか。ここホルチン沙漠は五十年程前までは緑豊かな草原でした。そういった意味で赤道直下の気候的原因による砂へん砂漠ではなく、人為的原因によるさんずいへん沙漠なのです。NPO(民間非営利組織)として活動する緑化ネットワーク、斡旋している潟Gコプラニングサービスは、そうした原住民の理解、コンセンサスを得ながら植林し、最終的には複数の樹木、可能な限り自然に近く、また原住民に利益を還元することをゴールとしています。初日、ポプラ裁枝、2日目障子松800本および水遣り、3日目草方格272枡を仕上げました。松へのバケツリレーでは先頭でおよそ800杯の水を大型バケツから汲み上げたでしょうか。これが一番楽しかったですね。途中からスクリュー式汲み取り方式および体バネ応用技術を体得したお陰で最後までリタイアせずキープ出来ました。ちょっとだけ自分を褒めてあげようと思いました。体力的には余裕のよっちゃんでしたが、体験ツアーとしてはまずまずといったところでしょうか。一連の行動は沙漠全体ではほんの豆粒、点ですが、【始める】こととして大きな一歩、前進であったと自分が納得できたこと、そして付け加えるならばボランティアへの大切さが肌で実感できたことが成果でしょうか。私が今後出来ることは、@来年度の植林隊に3名メンバーを送り込むこと。A貯金をして次回に自費ボランティアとして準備開始すること。B緑化ネットワークの会員になること。Cすべての生活において自分から行動することを習慣付けることです。中国へは過去、日本軍侵略による殺しまくり、やりまくり、好き放題をし尽くしました。日本軍の通り過ぎた後は、犬から鶏まで一切姿を消すということ、しかしながら現地中国の方はわれわれを暖かく出迎え、おもてなしをして下さいました。純粋で素朴で笑顔がすばらしい人たち、こちらから笑顔で望めばすばらしい笑顔で答えてくれます。大陸的おおらかさ、太陽と共に生活をするライフスタイル、ピュアでまじりっけがありません。笑顔の大事さを魅せつけられた旅でもありました。ボランティアは難しいことではないと考えてみませんか。自分本位で他人に頼らず、一から十まですべて自己完結する気構えで突き進んでいけばいいのだと思うのです。でもひとりの力では微力です。集結することで更にいい知恵が助長・拡散します。最後に重複しますが、まずは行動すること、「百聞は一見にしかず」です。いいですか。僕自身のライフワークとして近いか遠いか断言できませんが、かなりのウェイトを今時点で占めています。多少はピンときた方、是非、トライしてほしいですね。でも、百聞は、、、、、なのです。体験しましょう、ご一緒に。地球はひとつですから。

■旅日記

◆2002年 5月 25日【初日】◆
 成田空港に11:45着、既にほとんどのメンバーは到着している。VIPルームに案内され、お弁当、ビール頂き、簡単なオリエンテーション、決起集会をする。早めに搭乗手続き、荷物は万が一のことを考えてすべて機内持込とした。15:20予定より30分遅れで離陸。中国の場合は、2−3時間発着が遅れることはザラらしい。機内で、コーヒーのサービス、16時過ぎ、機内食が出される。ゆずのドレッシングサラダ、水、チキンのソテー、混ぜご飯(菜っ葉入り)、生クリームにイチゴと蜜がかかったムース、パン、バター、まあまあいける。コーヒーいただく。現地時間に合わせる為、1時間時計を遅らせる。天気は快晴。途中、富士山が見えるところで中国人が騒ぎ出す。中国人は意外とうるさい。18:40(現地時刻)北京空港に到着。新しい空港だけあってきれいだが、ほとんど人がいない。途中、夕ご飯で中華料理、出る種類、ボリュームはすごい。麦酒はバドワイザーよりもアルコール度数は低く2−3°らしい。ただ、中国の方は通常、冷やすことは体に良くないとの習慣から常温で飲む。なので、何も言わないとぬるいのが出てくる。冷たいのがほしくてもない場合も多々あるという。ガイドの宇さん、高橋さんで調整して頂き、冷たい麦酒にありつく。うまい。ホテルへ直行。money exhangeで3、000円分を換金。一元≒1.5円。横路さんと同室。水およびビールを買出し。部屋でレギュラー缶で乾杯。風呂に入って1:30頃就寝。


◆2002年 5月 26日【2日目】◆
ホテルで、朝食。バイキングスタイル、意外とうまい。準備整え、出発。まずは、万里の長城へ。このような城壁を作るのに百万単位の人と200年の歳月をかけた。総延長6千数百キロメートル、途中なんの時代だか忘れたが修復工事をしている。若干場所が移動しているところもあると聞く。ヤングコースと一般コースがあるが、迷わずヤングコースへ。往復1kmだが、何せ急降下、急斜面である。西洋人ぶくぶくおじさん、おばさんにはきついであろう。見晴らし、天気とも最高である。中国に来たという実感がヒシヒシと湧く。売り子がうるさいが、教えてもらった「ブヨ」言葉でアシラウ。売店でもシルクドレスヨンチャクイチマンエン、オクサンニドデスカ。昼にショッピングを兼ねて中華料理、毎回ビールと莫大な料理で顔が丸くなりかけている。モカのアイスクリームを10元で、あとは所持金も少ないことから何も買わずに時間を持て余す。途中、戦争記念館に立ち寄る。30分では見切れないが、殺戮、殺しまくりの日本軍侵略のブースは真剣に見る。日本人としてしっかり記憶しておく必要がある。過去では流されないむごいことをした訳であるから。歩いて、虚溝橋へ、真ん中部分だけを残して補修工事がされている。ここは侵略時代、死体を橋の上から突き落とし、それに群がるえびの山、腐臭と腐乱で、なんということをしたのだろう。恥ずかしい。湖からの水は既になく、橋の下は平地となっている。国営のお茶の店に立ち寄る。お姉さんたちは美人で流し込むような日本語で笑いを誘うお茶のおもてなし。烏龍茶、バラの蕾茶、数種類の説明。ここでも商売されたが何も買わない。北京駅の近くでまた中華料理。何度食ってもうまい。食いすぎた。北京駅へ着く。VIPルームで(一等席なので)待機。ビール10本、おつまみを買う。19:45目的の地に向けて出発。寝台車個室、4人部屋。斉藤さん、浜田さん、横路さん、岩佐。みんな結構強い地元の酒を飲んでいる。明日大丈夫か、僕はお酒は強くないので会話だけで飲まないようにした。案の定、翌日は二日酔い者が続出することになる。1時過ぎ、就寝。

  

◆2002年 5月 27日【3日目】◆
4:30頃、目覚める。あたりはもう明るい。外の景色は中国である。既に畑で仕事をしている人をちらほら見かける。太陽と共に生活している民族である。レンガ造りの家、ポプラ並木、以前旅番組で見たことのあるような自然な中国、空気が澄んでいる。7:50駅に到着。バスにてホテルへ直行。食堂で朝ご飯をいただく。おかゆ、漬物、餃子、肉まん、ホットのミルクティー、ホットミルクなど、素朴だけれどうまい。8:30グリーンネットワークの事務所へ、オリエンテーション開始。以下、要約。ホルチン沙漠は元々から沙漠ではない。地球規模での環境破壊、砂嵐、蒙古風、世界では600万ha(四国、九州をあわせた面積)が毎年沙漠化する。3400Khaが中国では毎年沙漠化する。国土の27%が沙漠または進行中である。原因は、(1)気候的原因、(2)人為的原因があるが、(1)としては、赤道上暖められた空気が冷やされ下降気流となって北緯30°付近で下降気流となる。乾いた空気なので水分を吸収してしまう。(北緯15°〜35°)中国は高緯度にある。年間降水量500mm以下。沙漠化の原因として、次に(2)人為的なものは
 @貧困による過放牧⇒草の育つ量よりも多量の家畜を放つため。急な斜面まで畑を作ってしまう。
  草原の育ちが悪くなり、 また前の場所を捨てて次々と遊牧する。
 A屋根に使う垂木のために木を切ってしまう。
 B石炭を変えない人たちが燃料代わりに使ってしまう。

   

【砂漠の形成について】
 @地球規模で元々雨量の少ないところ⇒砂漠
 A自然条件では草原だが、人為的原因により沙漠となり拡大中のもので、ホルチン沙漠は400−500m/年沙漠が拡大進行している。
  地下水位は意外と浅く、5−7m掘れば水は出てくる。20m掘れば井戸としては十分。本当の沙漠と一桁位が違う。50年前までは家畜が草で見えないほどのホルチン大草原は樹木(ポプラ、、、等々)が豊富であった。戦後の混乱、人口大爆発、無節操が原因である。中国での沙漠化撃沈地区に指定されている。緑化については住民も過去の草原であった時期を知っているため取り組む意識、情熱も高い。造林してその後の管理(水分、苗木、など)がうまくいってはじめて緑化は成功するといえる。現状は半農半牧、トウモロコシ、大豆、ゴマ、そば。稲作も水分条件がよいところは行われている。3〜4頭/件、年収2500元/年、忙しいのは春の種まき、秋の収穫。冬場はマイナス20−30℃となるため家でトランプ、マージャン、お酒で過ごす。

【緑化ネットワークスの活動】
rethink/restart/rejoice ティンバーランドでTシャツを販売している。収益の半分が寄付される。このような企業はエライ。
 @緑化を必要とする価値のある場所で活動をする。
 A地域住民に対する適切なアプローチ、地元住民とのコミュニケーションをお手伝いする。
 B日本人市民の積極的参加。 政治的、金銭的貢献だけが貢献ではないこと。(日本の援助は金だけで人は出さないことなど、) 3年目で520ha(東京ドームの約10個分)、60%の活着率。今までに593名がボランティア参加している。【ユニット植林について】100m枠、外枠をボプラ⇒防風林とし、その間に各種数種類の植林を行う。潅木、松、など。出来る限り自然の森に近づける。障子(しょうじ)松を植える。ポプラは2−30年、松の寿命はもっと永い。地元の人に収益が上がるようにする。果樹園、地元の人から植えたいと申し出がある木もあるとのこと。

【予定】
 5・27 AMウォッチング   PMポプラ剪定作業
 5.28 障子松植樹 第二高級中学校より日本語を勉強している学生と一緒に作業。
 5.29 草方格(そうほうかく)つくり、夕方、大青溝(だいせいこう)自然の森ウォッチング、沙漠ウォッチングへ。


 草原、畑と沙漠の境界がはっきりしている。植樹したところは下草が生え、砂が土に変わっていく。砂丘の山があちらこちらに出来ている。 去年植えたユニットの柵が砂丘の移動であるものは持ち上がり、また倒れているものもある。昼飯にホテルへ戻る。昼から豪華な中華料理、ついビールも飲んでしまう。午後から、ポプラの裁枝をする。電柱のスパン200m、トータル400m区画、慣れてくれば早い。志村さんがいないことが帰りのパスの中で発覚。結局、バスに乗ってこなかったのだが、帰る時まで誰も気が付いていないのがおかしいというのか淋しい感じがするが、今夜の話題の人になるのは間違いない。帰って隣のサウナに向かう。5元でさっぱり。18:30から夕食。今日は地元の村長さんを迎えモンゴル式歓迎会が開催される。モンゴル人は潰れるように飲ますことが流儀、最高のオモテナシであると散々脅されていたのでみんな戦々恐々としている。モンゴル民族衣装を纏ったの女の子2人、男の子1人で唄を歌いつつ、杯を受ける。天の神、大地の神、自分にとお酒を薬指で弾く。アルミの杯で順番に飲み干す。私も暫くして回ってきたが、思ったとおりアルミ杯より一回りでっかいスープ皿となった。イッキイッキの掛け声も高く、だんだん盛り上がる。こうして夜も更けていく。22時過ぎ就寝。



◆2002年 5月 28日【4日目】◆
 第二高級中学校のメンバーがやってくる。自己紹介の後、ジープに分乗して一路NTTコムウェアの森ユニットへ。各班列で2mおきに松を植える。30cmほど掘った後、スポット苗のビニールを取りそっと置く。2度水遣りの後、土埋めにする。

 

バケツリレーのトップ汲み出し係りをする。最後まで持ち堪える。コツを掴むと簡単。さほど疲れない。なんといっても鍛え方が違うということ、緑化ネットワークのメンバーよりも汲み出しスピードは速い。名づけて円形型(スクリュー)汲み上げ法をあみ出す。0.5秒でバケツ一杯の汲み出しは可能となる。リズムに乗ると、これまた楽しい。最後は午前中と同じく、滝沢さんと水を頭からかけ合って、オシマイ。本日、全体で800本の松を植えたこととなる。二手に分かれて1本につき2度バケツリレーをしたので、約800杯の水をやった勘定になる。自分ながら頑張ったので、自分を褒めてあげようと思う。第二高級中学校の生徒は素朴で純粋。就学年齢に差があるので、17−20才と幅はあったが素直が一番である。こんなにまっすぐきれいに育つのは大自然の育みと親や先生や周りの環境であろう。 日本では忘れ去られた部分もあろうが、大事なことのように思う。20:30就寝。

   


◆2002年 5月 29日【5日目】◆
 3:30に目覚めてしまったので、日記を付ける。5:30から近所を1h程徘徊する。饅頭売りの繰り返しスピーカーから流れるのがかなり親近感を覚えるようになった。あちらこちらで4−5階建てのマンションなのか、レンガ創りの工事中のところが目立つ。工事現場は6時から既に仕事を開始している。小学校もこの時間から生徒がどんどん通学している。毎回、朝からおいしい朝食でエネルギー充満、こちら中国に来て体重は恐らく2〜3kは増えたであろう。今日は植林3日目となった。天気も快晴、沙漠晴れである。バスで、沙漠へ。今日は、はっきり言って暑い。藁を二束抱え沙漠をエッチラコッチラ歩く。草方格(そうほうかく)つくりの準備に取り掛かる。藁をしごいてきれいにしたものを、1m間隔にスコップで筋を引いた上に置いていく。そして、スコップでその真ん中を差し込んでいく。すると藁がV字型に立つのである。縦列が整備できると、横に2m間隔で碁盤の目状にしていく。こうすることで、北西からの砂をかなり食い止めることが出来るのだそうである。本日の成果、272枡(2m × 1m)を仕上げることが出来た。藁もなくなってしまったのでね。最後にNTTコムウェア分会の旗を前に記念撮影、沙漠の山の頂上でまた記念撮影。3日間僕としては仕事量は少ないと感じたが体験することが大事。充実感と、少なからずのお役に立てたかな、と自分を褒めてあげよう。

   

バスに乗り、大青溝へ、ここは中国の天然記念物的に指定されており推定1,000年前に幅2−300m、長さ37km、深さ100mに渡って陥没し自然の原生林が温存されている。また、昔は山賊が出ることもあり農民が開墾できず保存状態にされたこともおおきな理由だそうだ。見学コースを30分ほど、ウーさんのガイド付きで案内頂く。砂漠の中のオアシス、自然を満喫でき、また珍しい樹木も多い。比較のためにポプラ20年ものがあるが、やはり自然原生林の自然さには適わないと感じる。



ホテルに戻り、お決まりのサウナへ直行。今日は床屋に行きたいと思っていたので、ホテル前の美容院へ行くと、どうも男は向こうだと指差す。場所がわからないと日本語で言うと親切に女の子3人で連れて行ってくれた。やっぱり、おサルと同じで珍しいかしらん。紙に、「七時迄、ok?」と書き、身振り手振りで愛想を振り撒く。大丈夫らしいとの事で早速散髪をしてほしいのだけれど、どうしてほしいか、と聞いている模様。また紙に「適当、3−4cm CUT」、これも理解してもらえた。25分で終了、10元さっぱりした。本日もおいしい中華料理に舌鼓、マジで体重オーバーである。最後に一気飲みと記念撮影で幕を閉じる。数名で果物屋さんと焼き鳥屋さんに出かける。私も周りも、かなり出来上がっていることもあり声がデカイ。ホテルに帰り、マッサージに行こう、となった。40元で全身つぼを押さえたマッサージをしていただく。昨日の水汲み800杯が多少効いていて背筋が筋肉痛。でも、爽快な気分で終了、22:30就寝。



◆2002年 5月 30日【6日目】◆
 3:40起床。昨日の日記を書く。4:50散歩にぶらっと出かける。今日は別方向へ。ビートルズの恋する二人が頭に心地よく響く。さわやかで、さらっとして、気が引き締まる。散歩の夫婦ずれ、人民服のお爺さん、みんなイイ顔をしている。バイクで子供を送るお母さん、今日がゆっくりと進みだす。踏み切りを超え、さらに進む。荷馬車に出遭う。ここ、中国では朝が早い。 小学校も中学校も6時には既に登校している。タバコで一服。マッチを買おうと雑貨屋に、1角で2個頂く。甘旗か(”かんじか”と読む。「か」は上と下がひっついた漢字を書く)高級中学校へ行く。チン書記(校長代理)、黒岩先生(東戸塚出身)から状況説明、1975年設立、29クラス、1,650名、外国の先生を招集できる権限あり、山梨県塩山高校と姉妹校、友好校となっている。2002年、2月に現在の場所に移動、縦面積5,500u、実験室:5、マルティメディア:1、LL教室:1、先生118名、進学率60%、ODAの一貫として黒岩先生が2000年8月に着任(あと一ヶ月で帰国)、高校に入学して初めて日本語の勉強をする。教科書中心、受験科目にあり、語学力は読み書き中心、日本の中学2年生の英語レベルと聞く。クラスに入って班分けして交流会、一昨日、共同植林した学生メンバーに目配せ、彼らも笑顔で応答する。僕も親指を立てて答える。3−40分程か、瞬く間に時間は過ぎ去る。話は尽きないが、お別れの時間。日本語で手紙を書こう。で、来た手紙の日本語添削をしてやろうと思う。女の子数人からそれぞれ写真、お土産、飴を頂く。でれーーっとする私。校舎前で全員そろって記念写真。

 

ホテルに帰って、グリーンネットワークと交流会をする。各自、ボランティアに対する思い、こうしたほうがいいのじゃないか、もっと仕事をしたかった、体験ツアーとしてはすばらしい、URLの充実を、班分けをしてお試しコース、2回目以降コースと分けても良いのでは、各自思い思いの意見、熱意を感じる。中国でも緑化に対する幹部と農民の意識は違う。また、ポプラだけでの単独植林では水分を吸いすぎるし、害虫に弱いらしく、数種類の樹木が森には最適であるとのこと。昼からバスにて瀋陽へ移動。途中、鉄道のレール工事があり、裏道を迂回。16時過ぎ、瀋陽到着。4つ星ホテルでお湯もトイレの水も良好。食事後、通訳のチョーさんと滝沢さんと岩澤さんで下町の食堂で軽く一杯。22:00就寝。


◆2002年 5月 31日【7日目】◆
 4:30起床。シャワーを浴び、くつろぐ。準備不足のためダイヤルアップがうまく繋がらない。諦める。6:30朝食。バイキングスタイル。9:00瀋陽、市内観光へバスで出かける。領事館などの写真撮影はどうも、NGらしい。清代皇帝の視察。昔の皇帝の権力は絶大である。竜を彫りに使うだけで首が跳ぶ。5人の妻とめかけのオンパレード。北京まで国内線で移動。ホテルに荷物を預けて天安門広場へ。石畳に2人立つと総勢1万人収容できる広さ。サヨナラ会を兼ねて北京ダックをご馳走になる。梨の木で焼くのが一番香りが良いとのこと。サソリのから揚げもうまい。ホテルの部屋で数名集まってワインで一杯。みんなの話を聞きながら寝入ってしまった。0:30就寝の模様。


◆2002年 6月 1日【最終日】◆
 5:00起床、5:30モーニングコール。荷物の整理。6:30バイキング朝食、そのまま北京空港へ。超特急で変化する北京の街並み。古いものが置き忘れ去られていく。諸外国に追いつきたい気持ちはわかるが庶民とのギャップが広がるばかりではないのか、と疑問がよぎる。空港使用料90元。出国手続きを済ませてduty freeへ。マルボロメンソール1カートン、妻と娘へ小物入れのお土産。息子に馬のペーパーウェイト、会社にパンダのクッキー、家に同じく、羊羹ひとつ。中国国際航行公司CA925 9:45-13:50 いよいよ中国ともお別れ、名残惜しいが、いざ日本へ。時間はたっぷりあると思いスティーブンキング新作「アトランティスのこころ」を忍ばせていったが読んだのは機内の中だけになった。感想文の草稿を仕上げる。上空から見る日本の国土は緑豊かである。自然の大切さを身に染みて感じる。


Copyright (C) 2002 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.