■プロフィール:岩佐省吾/1962年3月27日生/A型

1981(S56)- 電電公社 入社(以下、職歴参照)


■職歴■
期  間 配   属 主な業務
1981/11/09-1984/03/31 電電公社 大阪北支社
淡路電話局 局内保全課

電電公社 淡路電話局採用と任命通知を受け、淡路島か、と思いましたが、東淀川に淡路というところがあることも知りませんでした。クロスバ交換機C400/C45市内保守、試験台(113)対応業務に携わりました。クロスバ交換機も自分でもかなり勉強しました。なかなかよく出来ていると関心した覚えがあります。113試験台では輪番夜勤で申告マニアの洗礼を受け、数時間お付き合いすることもしばしばでした。この経験はクレーム対応時にひたすら聞き役に徹するという教訓を学びました。ですから、何時間誰から絡まれても大丈夫です。少し心臓に毛が生えたような気がしました。

1984/04/01-1986/03/31 中央電気通信学園
大学部 (第19回生)技術科


※1985.4:電電公社から日本電信電話株式会社へ

給料を頂いて2年間も勉強させてくれる制度を受験しない手はないと考え、試験3日前は年休取得して、数学、英語、物理、会社一般常識を詰め込んだことが懐かしいです。大学部では、2年間で50数科目勉強させて頂きました。講師陣は東大、慶応を中心にすばらしくユニークな教授・助教授・講師の方が多かったのです。微積分、物理から社会学、心理学、統計学と幅広いカリキュラムでした。卒業前は、それぞれ専門分野に別れ、交換出身の私はデジタル交換機(D70)を3ヶ月教わりました。2年目(1985)は丁度、電電公社からNTT(日本電信電話株式会社)へ変わりました。世田谷火災で人間伝言板として奉仕したこともいい経験でした。そして2年の宿舎を共に過ごしたメンバーとの触れ合いは非常に楽しい思い出です。

1986/04/01-1987/08-31 日本電信電話 大阪南支社
石津電話局 機械課

クロスバ交換機(C400AXS,C45市内)保守、試験台(113)対応業務と採用時とほぼ同様でした。デジタル交換機の導入時期でしたが、OJTをする前に異動になりました。機械課は若手メンバが多く、家族のような付き合いでした。いろいろ思い出多い時代です。


1987/09/01-1988/08/31
日本電信電話 電話事業サポート本部
電話局OA化推進室

業務分析、調査・分析担当をしました。インタビュー手法の講習もして頂き、電話局の局内・機械課業務フローの分析に携わりました。私のチームは調査として名古屋の天白電話局、北陸の七尾電話局にインタビュー、調査に入りました。実質は1998/4からはメインフレーム導入チームに加わり、GW前にJCL(Job Control Language(JCL、ジョブ制御言語)とは、IBMメインフレームコンピュータで使われるスクリプト言語である。バッチ処理をどのように動かすか、サブシステムをどのように起動させるかを、ジョブエントリーシステム(Job Entry Subsystem 2/3、JES2 または JES3)に対して指示するものである。当時はJES2がメインでした。)の自習書を手渡され読破せよ、と下令されたときは、どうしたもんかと、考えてしまいました。最初はさっぱりわからず、宇宙語を解読するような感じでした。結局は実践を通じて自然とJCLも習得できたという感じです。

1988/09/01-1989/06/30 日本電信電話 経営企画本部
現場業務抜本改善会議
顧客システム推進室
1989/07/01-19xx/xx/xx 日本電信電話 電話事業サポート本部
顧客サービス部
顧客システム推進室

組織名称はいろいろ変更しましたが、実質は名古屋:猪高センタのIBMメインフレーム構築・維持に継続携わっていました。担当はMVS(OS)、3rdベンダー。数度のCDLIB(インストールメディア、導入資材が一式組み込まれたもの)から新規導入を経験しました。チラー(水冷供給)、電源の投入から、システム起動、運用全般、バックアップから何でもやりました。ある意味、丁稚奉公の時代でした。途中からは東海の中で運用部隊が出来ました。優秀なSEにも巡り合えました。すべて初めての経験ばかりで戸惑いも多かったのですが、メインフレームの面白さに気付いた時代でした。

1990/xx/xx-1990-03/31 日本電信電話 情報システム本部
顧客サポート情報システム部
顧客サービス統合システム担当
1990/04/01-1991/03/31 日本電信電話 電話事業サポート本部
顧客サービス部
顧客システム推進室

川崎興和西口ビルにIBMマシンのメンテナンスセンタを構築することになり、我々SG部隊は一派からげで転勤となりました。担務は要件定義・設計、ネーミングルール作りから、実務はDASDイニシャライズからOSインストール・ジェネレーション、ユーザ登録、RACF(アクセスコントロール)、プロダクトカスタマイズまでのデバック環境を最短最速で提供することが使命でした。自分の範囲内なら大概のことは自分でこなせるようになりました。当時は、牧野(VM)、岩佐(OS/ISV)、鈴木(NET)、森(IMS/DB2)の私の4人で、最短1.5日で環境提供出来るまでになりました。僕たちのチームは見栄えのいい設計書なんか一切作りませんでした。そんな余力もありませんでしたし、作るのは僕の場合、DASDアロケーションマップやTO DO/TO MUSTリスト、ジェネレーション(セットアップ・カスタマイズ・チューニングの類)や維持上必要なものだけでした。変更履歴的な物はパラメータにコメントを追記するように心がけていました。構築に当たってもホワイトボードのメモや、自分のノート、マニュアル(リファレンス類)を頼りに、体で覚え、頭にたたき込み、失敗から学び、ほんの数分のミーティングで直営メンバで作業をこなせる実力は付けました。僕の場合はサードベンダ(ISVソフト)の窓口でしたので、社外ベンダのSEと一緒に作業することも非常に多かったと思います。自分の範囲は何を聞かれても怖くなかった(悪く言えば自信満々、自惚れ屋)ですし、ほとんどミスはありませんでしたね、体が覚えているから自然と手が動く感じでした。

1991/04/01-1993/02/07 日本電信電話 電話事業サポート本部
電話サービス部
CUSTOM推進室
1993/02/08-1994/10/30 N日本電信電話 情報システム本部
顧客サポート情報システム部
顧客サービス統合システム担当

マルチベンダー展開から富士通機、日立機のメインフレームも併せて担当することになりました。IBMで蓄えたノウハウは富士通、日立メインフレームも非常にスムーズに溶け込むことができました。まずは、川崎興和に富士通、日立のメンテナンスセンタ構築をIBM維持と同時に関わりました。主務はMVS/MSP/VOS3(OS)、ISV(3rd)ベンダソフトウェア一式と富士通窓口をしました。サードベンダソフトも当時は17製品(11社?)利用していました。プロダクト管理・予防保全(Patch、PTFの類の計画と実行)・導入からチューニングまで実務の熟成時期だったように思います。随分、メーカ・ベンダの営業さん、SEさんにも生意気な口を聞きましたが、「それでいいですよ。」ではこのようなでっかいお化けシステムは構築・維持できるものではなかったので、当時の皆さん、許してくださいね。

1994/11/01-1995/11/19 日本電信電話 情報システム本部
第一システム開発部
CUSTOM担当

CUSTOMデータセンタ構築(北日本DC、首都圏DC、中日本DC、関西DC、西日本DC)、集中管制センタ構築に関わりました。CUSTOMの根本思想はマルチベンダー化による実現でした。相変わらず、OS/ISV担当の情本サイドの直営は私一人でした。OS区画数も順調に肥大化を遂げ、メンテナンスセンタ、商用データセンタ併せて77区画となりました。人間管理の限界を超えたこれだけの経験は後にも先にもないでしょう。

1995/12/20-1997/05/31 日本電信電話 情報システム本部
第一システム開発部
OCN顧客管理システム担当

OCN顧客管理システム(NTTコミュニケーションズが提供するISP(インターネットサービスプロバイダー)事業としてOCN(Open Computer Network)を世の中のインターネットに対するニーズが高まったこと、需要が見込まれることを受けSO(顧客オーダ)、料金系システム(計算から請求書発行まで)を弊社が受注したもの)立ち上げ、方式設計、環境構築にチームリーダとして携わりました。メインフレームの自信はUNIX文化ではことごとく通用せず、最初は悩みの時代でもありました。実務をこのころからする事もほぼなくなり余計にスキルが身に付かない、部下に立ち遅れるとの焦りもありました。しかしながら、メンバーが優秀でしたので話を聞きながら自分のやるべきことは何なんだ、どうしたらチームを纏めて推進力を高めていけるのか、と考えました。お客様調整や、皆がやりたがらない雑務をこなして、チームが自由に動きやすくすることを第一優先で考えました。みんなの意見を集約してお客様とネゴっていけばいいんだ、と気付いたのです。そして随分メンバーに助けてもらいました。「ああ、仕事はチームでするもんだ。」と改めて感じた時期でした。

1997/06/01-1997/08/31 日本電信電話 ソフトウェア本部
顧客料金系システム開発部
OCN顧客管理システム担当
1997/09/01-2000/10/31 NTTコミュニケーションウェア
顧客料金系システム事業部
第三ソリューション部
OCN顧客管理担当
2000/11/01-2002/04/30 NTTコムウェア システム本部
開発部門 IPビリング
OCN顧客管理担当
2002/05-01-2003/07/31 NTTコムウェア システム本部
開発部門 CRMグR-プ
SFA担当

MERCURY(次期販売営業支援/NTT東日本エリア全域提供)システムで基盤グループのチームリーダを担当しました。主務は方式設計・環境構築・維持でした。NTTコムウェア東海と協力しながら一枚岩のチームワークで楽しくやれました。「同じ失敗は二度としない」と誓い、リスク対応、迂回索も毎回前回のミスを補正し手順に盛り込み確認事項として追加していくことを心掛けました。我が基盤チームは、方式/環境・データ管理・運転制御・EUCのサブグループに分かれていました。僕のポリシーはいつも即断・即決・即行動主義でした。課長にもいちいち相談しませんでした、私の方が経験的に優位であったことと、任せて貰っていたこともありがたかったです。メインメーカであったHP社の営業・技術とも強固な信頼関係が築けました。購入パッケージ類では新日鐵情報(ORACLE)、株式会社ジェーエムエーシステムズ(MicroStrategy)、他、ツーカーで物事の相談・実行をコントロールしました。予防保守について、例えばOS Patchも厳密な選定基準を設け年2回程度確実に保全しました。2005/11のIE化のトラブル以外、商用停止での影響はほぼ皆無だったと思います。
2004年にはPMP資格を取得しました。
2005/05-2006/05の約1年間は、NTTソルコ社で開発・提供していた「TAM支援システム」からMERCURY-CTIへのデータ移行を担当しました。

2003/08/01-2004/03/31 NTTコムウェア システム本部
第六システム部
SFA担当
2004/04/01-2004/06/30 NTTコムウェア
システム本部
第二システム統括部
CRM/ディレクトリソリューション部
SFA担当
2004/07/01-2005/03/31 NTTコムウェア
CRM&ビリングソリューション本部
CRM&ディレクトリソリューション部
第二CRMグループ
2005/04/01-2005/4/30 NTTコムウェア
CRM&ビリング・ソリューション事業部
CRM&ディレクトリィソリューション部
第三CRMグループ
2005/05/01-2006/06/16 NTTコムウェア
CRM&ビリングソリューション事業部
CRM&ディレクトリィソリューション部
NTT−CRMグループ
2006/06/19-2007/09/30 NTTコムウェア
C&B事業本部
ディレクトリシステム部

NTT−BJ(NTT番号情報)様がお客様です。ディレクトリシステム担当として導入・切替を担当することになりました。2007/01-03で全国の電話帳配達システムの順次切替・導入を統括しました。2007GWは電話帳統合システムのセンタサーバ、各販売編集会社・支店の大規模な全国同時の一括切替・導入を統括しました。2007/07から2009/02までARTサーバ更改(全国のタウンページ作成システム)の更改に向けた切替統括をしました。2009/02からPMBOKでいうところのCCB(Change Control Boad)、構成管理と、お客様との定期会議の事務局、開発時の設計変更・仕様変更の窓口をさせていただきました。

2007/10/01-2010/03/31 NTTコムウェア C&B事業本部
CRMソリューション部
ディレクトリBU
2010/04/01-2012/07/31 NTTコムウェア C&B事業本部
CRMソリューション部
営業企画部

あまり記憶にありません

2012/08/01-2017/06/30 NTTコムウェア
エンタープライズビジネス事業本部
第六ビジネス部
営業部門 営業担当 
担当内の決裁処理、契約・経理・購買・セキュリティ・コンプライアンス・雑務全般
 
2017/07/01-2022/03/31
退職
NTTコムウェア
エンタープライズビジネス事業本部
BigDataソリューション部
提案SE部門 提案SE担当 

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