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前回は、ジョン・クーパーという人が、ツーリングカーレース用に、ミニを使ってレースに出したいと考えた。しかし、レースには、メーカー量産車でなければダメという規制があった。そこで、ジョン・クーパーは、ミニの生みの親、イシゴニスのところへ行ったまではよかったが・・・
イシゴニスは容易にジョン・クーパーの願い出を聞き入れなかった。
イシゴニスにすれば、現状の850ccでコンプリートであって、「ミニをこれ以上速くする意味もないだろう」とクーパーをいなし続けた。イシゴニスは頑固なエンジニアだったのだ。
自分の経験を糧に自信を蓄えてきたクーパーも、頑固さでは負けていなかった。F1でチャンピオンになるマシンを作る友人の熱のこもった提案に、最後はイシゴニスも折れた。
「会長に会いに行こう!」
最大の難関だったアレックス砦を攻め落としたクーパーは、いよいよ本丸に駆け込んだ。イシゴニスに紹介されたのはジョージ・ハリマンBMC会長だった。
クーパーは会長に向かって、改良点を説明した。
① |
エンジンの性能は、最高速度を現状(850cc)の70m/h(約112km/h)から85m/h(約136km/h)に引き上げる。
※これは高性能と呼ばれる当時のサルーンの設計条件でもあった。 |
② |
85m/hに達するためのエンジンパワーは55ps、排気量は997ccにする。 |
③ |
最高速度が伸びると制動力も高めなければならないので、前輪にディスクブレーキを採用する。 |
④ |
操作性を向上させるため、メーター下のフロアから生えるように設計されたダイレクト式シフトレバーをシート脇に立ち上がるリモート式に変更する。 |
クーパーの提案は、要約すると4点に過ぎなかった。彼自身が一番欲したのは、メーカーの力を借りなければ量産できないディスクブレーキだった。
クーパー:「今こそザ・ボーイズの車をつくりましょう」
ハリマンBMC会長「そこまで言うならミニを一台提供するから、近日中に試作車をつくって見せなさい」
しまった、原稿が尽きた。それでは続きは次回に。
(出典):ミニ・フリークの日々(田村一七男著) :MINI THE COMPLETE ILLUSTRATIONS(尾崎豪著)
(2012/12/10 21:53)
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